三白眼にしてジト目で無表情。
しかも非正規独身40代。
休日はいつも独りで過ごす。
一見、冴えない中年男を具現化したような藤井守。
この人物こそ、実は偉大なる凡人なのである。
それでは早速、本作の主人公・フジイに迫っていこう。
非凡なる凡人
特にドラマティックな出来事も、エキサイティングな冒険譚もない「路傍のフジイ」。
そこに描かれるのは、地味な独身男の日常だ。
しかし、なぜかフジイから目が離せない。
そんな不思議な吸引力を持つのが本作の特徴だろう。
40代非正規独身男と聞けば憐れみや、人によっては蔑みの目を向ける御仁もいるに違いない。
事実、会社の同僚をはじめとし、周囲の人々は彼を軽んじていた。
というか、フジイは学生時代から決して友人が多いとはいえず、今でいうスクールカーストの“下の中男子”といったポジションだった。
しかし、変わらないのはそれだけでない。
昔から、フジイには彼を慕う者が存在した。
口数が少なく、孤立を恐れず、周りに媚びへつらうことをしないフジイ。
おまけに無愛想とくれば、友達など出来るはずもない。
だが、ふとしたキッカケで人柄を知ると、他では得難い居心地の良さがある。
それは、フジイという男がいつも自然体だからだろう。
要するに他人軸ではなく、常に自分軸で生きている。
だが、彼は決して自分勝手に生きているわけではない。
台風の中、知り合いに頼まれ一文の得にもならないのに、フリマの設営を手伝いに行く。
またある時は、赤の他人のために休日を費やして、逃げ出したセキセイインコを捕まえる。
このように、藤井守はブレることなく自分の信念を貫いていく。
我々は、ほぼ例外なく他人の目を気にしてる。
つまり、絶対ではなく相対が基軸となる。
だから、他人の評価を気にして様々なトロフィーを欲しがる。
それは、何も社会的な肩書だけに留まらない。
金やブランド、友人、恋人など、リア充然とした煌びやかな日常。
なるほど、それらは有るに越したことはないだろう。
しかし、そんな“飾り”に振り回されるうち、本来の自分を見失っていく。
マウントを取り、見栄を張り、誰と戦っているか分からないような不毛な時間を浪費し続けている。
承認欲求の奴隷になるあまり、心が疲弊してしまうのもむべなるかなである。
だからこそ、多くの人がフジイの生き方に共感するのではないか。
加えて、フジイは決して他人に自分の価値観を押し付けない。
無理強いをすることなく、相手の価値観を尊重する。
人を責めずやり込めず、あるがままを受け入れる。
だからこそ、一緒にいると心が安らぐのだろう。
フジイの日常
フジイと同じ会社の田中はまだ若く、フジイよりもルックス的にイケている。
そんな彼にとって最近気になる存在が、他ならぬフジイだった。
だが、内心では見下していた。
「ああはなりたくない。この人よりはまだマシだ」
しかしながら、決して充実した生活を送っているとは言い難いことも手伝って、マイペースなフジイの姿が視界に入ってくる。
ある休日、田中は偶然フジイを見かける。
好奇心に駆られ、フジイを尾行することにした。
フジイはおでんコロッケを頬張りながら街を散策し、公園の池でカメを見つめている。
かと思えば、揉め事に巻き込まれ、老人のパンチを被弾する。
鼻血が噴き出すフジイに、思わず助けに駆け寄る田中。
そして、成り行きでフジイ宅にお邪魔した。
意外にも部屋は整頓されており、怪し気な雰囲気は全くない。
それどころか、多趣味なフジイの部屋は蔵書も充実しており、絵画や陶芸も嗜んでいると言う。
おまけにギターの弾き語りも披露してくれた。
その下手さといったら…。
もちろん、絵も陶芸も…。
しかし、フジイはきっぱりと言い切った。
「人生は楽しい」と。
そんなフジイを見ているうち、田中は涙が込み上げた。
「こんな人がいるんだ…この人がツマラナイ人間に見えたのは、自分がツマラナイ奴だからだ」
その日から、田中は心が少しだけ軽くなる。
そして、ちょくちょくフジイの家に遊びに行くようになった。
会社の同僚でもうひとり、フジイの存在を気に掛ける人物がいた。
社内でも美人で有名な石川である。
普段はほとんど言葉を交わさない石川に、フジイが声をかけた。
「よかったら、入っていきますか?」
雨宿りをしていた石川に助け舟を出す。
肩を並べて歩いていると、猛スピードで走るトラックが津波のような水しぶきを飛ばしてきた。
フジイは咄嗟に身を挺して、びしょ濡れになりながら石川を守る。
それも全く恩を着せる風でもなく。
実は、石川は数年前まで風俗に勤めており、今でも当時の客と関係を持っていた。
金で体を売る爛れた関係を続けるうち、人を好きになる感情を失った。
そんな中、不思議な魅力を持つフジイが現れる。
石川は徐々にフジイに惹かれていく。
仕事が終わり、石川はいつものメンバーに飲み会に誘われた。
フジイはいつもハブられていたが、その日は石川が積極的に声をかけ酒席を伴にする。
いつになく明るい表情の彼女は饒舌だ。
酒に弱いフジイが途中で帰宅すると、石川も付いてきた。
彼女はフジイに失礼な態度を取った同僚に憤慨する。
「人を孤独でツマラない人みたいに決めつけて…私は藤井さん面白い人だと思います!」
すると、フジイはこう言った。
「みんなに理解してもらうのは難しいと思います。自分が分かっていればいいです」
あくまでも自分軸で生きるフジイに、石川は思わぬカミングアウトをする。
「私…普段好きでもない男とお金のために…。よくないですよね…そんなこと」
フジイはじっと石川の瞳を見つめた後、うつむいた。
「僕には…分からないです…すみません」
フジイと別れ、電車に揺られながら石川は先ほどのことを反芻する。
「何であんな話まで…しゃべり過ぎた。でも、藤井さんは私をジャッジしないような気がしたから…つい」
田中だけでなく石川も、なぜかフジイの前では本当の自分をさらけ出す。
それは、フジイが虚栄を張らず等身大だからだろう。
少しずつ、周囲の人々に影響を与える藤井守であった。
フジイと永瀬貴規
フジイを見ていると、なぜか柔道男子81kg級のオリンピックチャンピオン永瀬貴規を思い出す。
永瀬も恩師から“凡人のヒーロー”の称号を賜った。
かつて、将棋界に君臨した大山康晴十五世名人は言う。
「平凡は妙手に勝る」
大山の真意はこうだ。
派手な手は長続きしない。
当たり前で平凡な手を地道に積み重ねていくことが肝要だと。
当たり前を積み重ねていく。
まさしく、フジイや永瀬のことではないか。
奇をてらうことなく、当たり前を継続することの難しさ。
多くの人が実践できないことからも、その偉大さが理解できるだろう。
そして、彼らを見ていて思うのは“誠実さ”“実直さ”である。
一見、ふたりは地味で面白味もない。
しかし知れば知るほど、その魅力に気づかされる。
それは、フジイや永瀬に我々が理想とする人間像が垣間見えるからだろう。
「水は竹辺より流れ出でて冷ややかなり 風は花裏より過ぎ来たって香し」
“竹林の下を流れる水はことさらに冷たい。花々の中を吹き抜ける風はとても香り高い”という意味であり、これもまたフジイと永瀬をよく表す箴言である。
自然の有り様を表現したこの言葉は人間の来し方も表している。
竹辺の下に存在する“天然のフィルター”地下水脈を流れる水は冷ややかで澄み切っている。
逆にドブを通った水は生ぬるく汚れているだろう。
花畑の中を吹き抜けた風の香りは一際芳しいが、澱んだ空気の中を通った風は言わずもがなである。
つまり、人間も清廉な人生を送る人の心は美しく、欲と腐敗にまみれた生き方は魂を醜くする。
そういったものが人に漂う空気感として現れ、感じの良し悪しにつながるのだ。
まさに積み重ねた生き方が鏡映しとなるのであり、一朝一夕にいくものではない。
我々はフジイや永瀬貴規にそのことを感じるからこそ、心惹かれるに違いない。
まとめ
「路傍のフジイ」の主人公・藤井守について紹介してきた。
フジイには“もう会うことはないかもしれないが、友達だと思っている人”がたくさんいる。
そして、彼ら彼女らはそっと心の中で感謝する。
なぜならば、フジイとの出会いを通し「自分も良い人間でいよう」と思えるからだ。
今日もフジイは心地よい距離感で、人々に小さな幸せを灯している。
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