今から約30年前、和久井映見主演でドラマ化した「夏子の酒」。
この作品は日本酒の伝統と職人魂を描き、多くの日本人の琴線に触れました。
本物の日本酒を追い求め、日々研鑽を続ける若き夏子と杜氏をはじめとする職人たち。
そんな酒造りに込めた熱き想いがほとばしる名作、それが「夏子の酒」です。
ストーリー
新潟の造り酒屋に生まれた夏子は上京し、コピーライターとして働く日々を送っている。
夏子は初めて大きな仕事を任されるのだが、それは何の因果か酒のキャッチコピーづくりだった。
だが、酒蔵の娘として生まれた彼女は、その商品がキャッチコピーに相応しくない品質である事実を前に煩悶する。
そんな中、夏子は酒造りに人生を懸けた兄・康雄が余命いくばくもないことを知る。
そして、それから間もなく黄泉に旅立った。
しかし、兄は「幻の酒米」龍錦を手に入れていたのである。
龍錦を使った日本一の酒、そんな兄の夢を叶えるべく、夏子は様々な困難に立ち向かっていくのだった。
所感
私は、基本的にあまり日本酒を飲みません。
たまに居酒屋に繰り出しても、サワーやカクテルを飲むことの方が多いように思います。
ですが、年配者と酒席を共にするときには日本酒を飲むこともあり、たまに飲む銘酒は本当に美味しく感じます。
「夏子の酒」を手に取ったことにより、今後は日本酒党への鞍替えを検討してしまいました。
私は大きく勘違いしていたことがあります。
最近のマンガは“異世界モノ”を中心に安易で量産的な内容が多く、読むべきものが無いと思い込んでいました。
ですが、若者に支持されるラブコメにも傑作は多数存在し、「線は、僕を描く」「図書館の大魔術師」など、いたく感銘を受ける名作があることを知りました。
でも、やはり昭和の人間である私は、昔の漫画の方がシンパシーを感じます。
それは「夏子の酒」を読み、改めて実感しました。
たとえば、夏子がコピーライターの仕事を辞め、実家で酒造りを始めるまでに何話も使っています。
その間に兄・康雄の人となりや酒への想い、そして夏子の心情の変化も丹念に描かれ、違和感なく読者も感情移入できるのです。
主人公の夏子は酒蔵のお嬢様として育ったこともあり、いろいろと至らない点があります。
自分の夢を優先するあまり、農家をはじめとする市井の人々の現実や苦悩を蔑ろにするところも目につきます。
ですが、22歳の若さで幻の酒米・龍錦を現代に甦らせる情熱には、素直に心打たれます。
だからこそ、最初は難色を示した周囲の人々も、いつの間にか夏子の頑張りに引っ張られ、マインドを変えていきました。
また、戦後日本はコストを抑え安価な品を優先することにより、食の安全が叫ばれています。
本作は酒造りをテーマにしながらも、農薬に頼り過ぎる現代の農業問題にも踏み込む社会派漫画の一面も持っています。
そして、世間的に認知度が低い日本酒の種類を掘り下げ、純米酒や吟醸酒、三倍増醸酒などの特徴を知らしめるなど、なるほど日本国内に一大センセーショナルを巻き起こしたのも頷けます。
そういう丁寧な作品づくりにより、知っているようで知らない日本酒というお酒の魅力が伝わるのではないでしょうか。
酒造りの奥深さ
本作は昭和の終わりから平成の初期頃に連載された作品です。
当時は味も風味もない、ただアルコールが入っているだけの粗悪な日本酒が散見されました。
今でも無論、そういった類の“安かろう悪かろう”といった商品はあるのでしょうが、多くの酒蔵の血の滲むような努力により多種多様な銘酒が生み出されています。
私などは品質の良い日本酒に巡りあっても「この酒うまいな~」ぐらいの感じで、ついつい軽く流していました。
ですが、本作を読んで日本酒造りの工程や職人たちの努力を知り、深い敬意の念が沸いてきます。
機械化を進め、人間が手間暇かける作業を減らすのが、今風にいえば省力化・効率化と言うのでしょう。
ですが、「夏子の酒」に触れるうち、我々は手間暇かける意味や必要性を理解することになります。
現代のように科学的知見がない時代、酒造りに関わる人たちが試行錯誤の末にたどり着いた技術の結晶。
そんな人類の叡智ともいうべき先人の知恵には、今さらながら感嘆の声しかありません。
私は本作を読み終え、マスターキートンに出てくる「シャトーラジョンシュ1944」という物語を思い出しました。
その内容はフランスのブルゴーニュ地方を舞台に、ワイナリーの館主と使用人が織り成す“ワイン職人の矜持”を描いています。
効率化や生産性を追い求め、近代的設備によるワイン造りに舵を切るべきか…。
しかし、かつて二人が創り出した「シャトーラジョンシュ1944」のような奇跡の名酒は、機械化した工程では決して生まれません。
ふたりは職人としての誇りを守り、伝統的なワイン造りを選びました。
理想と現実。
このテーゼは、常に人間の営為には付きまといます。
とりわけ、高い専門性を要する「ものづくり」には顕著でしょう。
品質の良さを追求すべきか、あるいは営利を重視すべきか。
良心的な職人ほど、絶えずこのジレンマに悩まされるにちがいありません。
現実的に、自分だけでなく家族がいればなおのこと、生活していかなければならないのですから…。
しかし、夏子の酒を見るにつけ本当に良質な商品を適正な価格で販売できれば、生産者も消費者もウィンウィンの関係を築けるように思うのです。
現実世界を鑑みても、多くの酒蔵が潰れる悲劇はあったものの、世の酒飲みを唸らせる名酒を作り出した酒蔵は生き残っています。
政治・経済に希望が見出しづらい現代日本。
今後ますます経済的に厳しい現実が待っているかもしれません。
ですが、我々自身のためにも良質なものは買い叩くのではなく、適正な価格で購入したいものです。
そのことが、日本酒という伝統的文化を継承していく礎になるのではないでしょうか。
コメント