かつて一世を風靡した「女王の教室」。
本作は、天海祐希演じる女教師・阿久津真矢が強権を発動し、半崎小学校6年3組の児童を支配していく学園ドラマである。
悪魔のような鬼教師と子ども達の戦いの火蓋が落とされた。
阿久津真矢
教職員再教育センターから復帰した阿久津真矢。
そんな彼女は半崎小に赴任早々、校長の話など聞くのは無駄だと始業式をボイコットした。
全身黒ずくめの出で立ちで、冷血・冷酷・冷徹を絵に描いたような態度に終始する。
6年3組の児童と初対面を果たすと、ピシャリと言い放つ。
「日本では人が羨むような、幸せな生活を送れる者はたった6%しかいない。そして、そういう人達は、あなた達凡人にいつまでも愚か者で居続けて欲しいのよ」
この発言を裏付けるように、真矢は成績至上主義を推進する。
そして、自らに歯向かう者には容赦しない、非情なまでの独裁体制を構築していった。
ときに保護者を篭絡し、ときに子ども達の秘密を探り脅迫する。
まさに、彼女の統治は恐怖政治そのものだ。
だが、真矢の発言は芯を食っていた。
「いい加減目覚めなさい」というフレーズで始まる説法は、厳しくもこの世の有り様を穿つのだ。
そして、なぜか子ども達に問題が起こるとき、真矢は必ず現れた。
子ども達の成長
何をさせても完璧で全く隙が無く、とても太刀打ちできない悪魔のような真矢。
凍てつくような視線と辛辣な言葉を投げかけて、子ども達の心を蹂躙していった。
6年3組には絶対のルールが存在した。
テストで最下位とブービーのふたりが、あらゆる雑用をしなければならないのである。
そして、それ以上の鉄の掟がある。
真矢に少しでも逆らったら最後、有無を言わせず雑用係を命じられる。
子ども達は毎日のように、真矢の理不尽さに苦しめられていく。
だが、時として不利益を被ることを承知で、身を挺して庇う姿も見せる。
近頃は大人だって、そんなことは滅多に出来はしない。
人は基本的に自分が一番可愛い生き物だ。
真の勇気を振り絞り、己の正しいと思うことを主張する姿は胸を打つ。
友の気持ちに心から感謝し、固い絆が育まれていく6年3組の子ども達。
そんな友情譚も、このドラマの見所なのである。
教師としての信念
苛烈を極める言葉を浴びせ、不条理なまでに子ども達を追い詰めていく阿久津真矢。
一方で、6年3組の児童全ての身長・体重から血液型まで、あらゆるデータを頭に叩き込んでいる。
しかも、睡眠や食事をほとんど取らず、ひたすら子ども達に思いを巡らし見守っていた。
文字通り教育のために命を削り、教壇に立っていたのである。
過去に教員として壮絶な体験をしたことがきっかけで、現在の鬼教師としてのスタイルを確立していく。
これは自らが障壁になることにより、子ども達の自立を促すことが目的だった。
世の中の矛盾や問題を説き、舌鋒鋭く児童に迫るのはこのためである。
気がつくと、いつの間にか遅刻も減り、勉学に励む意欲も醸成されていた。
また、自らの信念はどんなことがあっても貫き通し、たとえ上司や教育委員会から苦言を呈されても意に介さない。
阿久津真矢は、なぜ教師を続けるのか訊かれこう言った。
「教育は奇跡を起こせるからです。子ども達は成長していく中で、私達が予想する以上に素晴らしい奇跡を起こします」
そんな思いがあればこそ、真矢は子ども達と真剣に向き合うことができるのだ。
魂の授業
真矢はこれまでの言動を教育委員会に密告されてしまう。
おまけに、全校生徒の保護者にまで批判を受け窮地に陥った。
ついに、教育委員会が6年3組の授業を視察に訪れることになった。
子ども達は教育委員会の職員が見守る中、真矢に疑問をぶつけた。
まず「どうして私達は勉強するのか?」と問われ、真矢はこう言った。
「いい加減目覚めなさい。いくら勉強して良い会社に入っても、そんなものには意味がない。これからあなた達は知らないものや、理解できないものにたくさん出合います。美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにもたくさん出合います。そのとき、もっと知りたい、勉強したいと自然に思うから人間なんです。好奇心や探究心のない者は人間じゃありません。自分達の生きているこの世界のことを知ろうとしなくて、何ができるというんですか。
いくら勉強したって生きている限り、分からないことはいっぱいあります。世の中には何でも知ったような顔した大人がいっぱい居ますが、あんなものは嘘っぱちです。好奇心を失った瞬間、人間は死んだも同然です。勉強は受験のためにするのではありません。立派な大人になるためにするのです」
子どもに勉強の意味を問われて、ここまできちんと答えられる大人がどれほどいるだろう。
二人目の児童は「なんで先生は私達に厳しいんですか」と訊いた。
「イメージできる?私があなた達にした以上に、酷いことは世の中には幾らでもあるの。人間が生きている限り、イジメは永遠に存在するの。なぜならば、人間は弱い者をイジメることに喜びを見出す動物だからです。悪い者や強い者に立ち向かう人間なんてドラマや漫画の中だけであって、現実にはほとんどいないの。
大事なのは将来自分達がそういうイジメに遭ったとき、耐える力や解決する方法を身に付けることなんです」
三人目の少女が思わず尋ねる。
「それは…どんな時も味方で居てくれる友達を見つけることですか?」
阿久津真矢は、少女を見つめながら答えた。
「そういう考え方もあるわね」
最後に、男子児童が思い切って斬り込んだ。
「先生は頭も良くて運動も音楽もできるのに、なんで教職員再教育センターなんかにいたんですか?前の学校で受け持った子を、ボコボコにしたって聞いたんですけど…本当なんですか?」
際どい質問にも、真矢は全く逃げることはない。
「本当よ。それは、その子が私にこう言ったからよ。なぜ人を殺しちゃいけないんだって…その子は頭も良くて運動もできて体も大きかったから、クラス中に恐れられていたの。事実、その子のターゲットになった子は次々とイジメられて、自殺未遂をする子までいた。
でも、その子は反省もせずこう言ったの…『なぜ、人を殺しちゃいけないんですか』って」
真矢の迫力に静まり返る教室で、なおも真摯に語りかける。
「そう質問すれば、大人がちゃんと答えられないことを彼は知っていたのね。だから、私は教えたの。他人の痛みを知れと…みんな自分と同じ生身の人間なんだと…どんな人にも、あなたの知らない素晴らしい人生があるのだと。一人ひとりが持つ家族や愛、夢、希望、友情を奪う権利は誰にもありません。遺される遺族に苦しみや痛みや悲しみを与える権利は誰にもありません。だから、人を殺しちゃいけないんです!」
おそらく、これは人間にとって最も根源的な問いであり、ほとんどの大人は明確な答えを持ち合わせていない。
真矢は人にとって一番大切なことを知っている。
それは、その人がその人らしく生きることであり、そのためには尊厳が守られなければならない。
だからこそ、最も大切な尊厳である命を奪うことは言語道断だと言うのである。
そして、退職が決まった最後の授業の日、子ども達へ惜別の言葉を贈った。
「いい加減目覚めなさい。人生に不安があるのは当たり前です。大事なのはそのせいで自信を失ったり、根も葉もない噂にのったり、人を傷つけたりしないことです。分からないものを分かったような顔をして、無理に納得する必要なんてないんです。それより今をもっと見つめなさい」
そして、涙を流す教え子に続けた。
「イメージできる?私達のまわりには美しいものがいっぱい溢れているの。夜空には無数の星が輝いているし、すぐ近くには小さな蝶が懸命に飛んでいるかもしれない。街に出れば初めて耳にするような音楽が流れていたり、素敵な人に出会えるかもしれない。普段見ている景色の中でも、時の移り変わりでハッと驚くようなことがいっぱいあるんです。
そういう大切なものをしっかり目を開いて見なさい。耳を澄まして聴きなさい。全身で感じなさい。それが生きているということです」
そう言い残し、女王は教室を出て行った。
まとめ
無理が祟り、真矢は過労により倒れてしまう。
そして、年度途中にもかかわらず、再び教職員再教育センター送りが決定する。
いじめや裏切り、仲違いなど、様々な困難を乗り越えて一致団結した6年3組の児童達。
そうしたトラブルの陰には、いつも鬼教師・阿久津真矢がいた。
彼女が与えた試練に立ち向かい、子ども達はいつしか自ら考え行動できる力が育まれた。
クールな眼差しの奥に潜む子ども達への熱き想い。
女王が去った教室は、なぜか寂しく感じた。
P.S. 最終回、6年3組の子ども達と阿久津真矢が再会する卒業式は必見です!
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