夫と子どもに恵まれ、一見すると幸せに見える妻。
だが、ふとした瞬間、寂しさを感じてしまう。
そんなとき、悪魔に魅入られたように許されぬ恋に堕ちていく。
それは、もしかすると誰の身にも起こる可能性はあるのかもしれない。
家族を裏切った罪に苛まれながらも、いつかは許してほしい…。
本作は、その想いを片時も忘れない哀しい女の物語である。
ストーリー
田村刑務官は短大を卒業してすぐに、女子刑務所に勤めている。
元々は小説家志望であり、刑務所にはネタ集めの意味もあり入職した。
彼女はいつもトラブルを抱えていた。
礼儀や忍耐力が乏しく、何よりも受刑者の村上優子と毎日のように喧嘩していたのである。
原因は、なぜか優子が田村刑務官に絡んでいくからだ。
そんなある日、田村刑務官は優子の過去を知る。
それは、彼女の意外な過去だった…。
優子の過去
村上優子は出所日が近づくごとに荒れていく。
一刻も早く務所暮らしから抜け出すため、普通は逆なのに…。
彼女は頻繁に手紙を出している。
宛先は離婚した元夫だった。
そして、書き損じた便箋で紙飛行機を作っては田村刑務官にぶつけていた。
だが、優子は彼女以外には素行の悪さを見せない。
ある日、田村刑務官は優子の過去と罪状が記された身分帳を読んでみた。
そこには、彼女の意外な真実が書かれている。
一流大学を卒業した後、一流企業に就職し、エリート社員と結婚する。
しかし、誰もが羨む人生を送っていたにもかかわらず、寂しさから魔が射してしまう。
夫が海外赴任した際、不貞行為を犯し、その男に騙され横領事件に巻き込まれる。
その挙句、夫と子どもを失い、現在に至るのだった。
田村刑務官は驚きを隠せない。
田村優子は極貧に生まれ、食うや食わずの子ども時代を過ごした末、無銭飲食に手を染めて最後は強盗で捕まったはずだった。
優子の想い
程なくして、またもや田村刑務官に不可解なことが起こった。
あれだけ反抗的な態度を取っていた優子から相談の申し込みがあったのだ。
「また、私をからかうために違いない」
苛立ちが募りながらも、田村刑務官は面接室に赴くと優子が待っていた。
優子は彼女に想いを打ち明けた。
「離婚した夫と子どもに手紙を書いた。何度も何度も…。もし許してくれるのなら出所するまでに教えてほしいと。私には今年6歳になる息子がいる。よく家族3人で紙飛行機を作って遊んだわ。家族が許してくれるまで、何十年でも刑務所にいたい。だから、あなたに反抗的な態度を取っていたの…」
そして、優子は言葉を継ぐ。
「もし、私を許してくれるのなら…出所3日前の12月1日夜11時に、塀の外から見張り台の下に紙飛行機を投げ込んでほしい。そう手紙に書いたの…」
それを聞き、田村刑務官は激高する。
「嘘つき!4時半の作業が終わったら、あなたは翌日まで部屋に居なきゃいけないはずじゃない!11時に行ける訳がない!」
こうして、またもや二人は取っ組み合いの大喧嘩になってしまう。
しかし、田村刑務官は妙に気になっていた。
念のため12月1日の夜11時、優子のいる雑居房に向かう。
すると、優子は窓際に座り、涙を浮かべ見張り台の方角を眺めていた。
「!!…やっぱり、あなた!?何で出れもしない時間なんかに約束したのよ!」
涙を拭きながら優子は答えた。
「来てくれる訳がないもの…」
「そんなこと…分かんないじゃない!」
そう言うと、田村刑務官は脱兎のごとく走り出す。
副所長のもとに行き、雑居房と見張り台に続くドアの鍵を貰いに行ったのだ。
だが当然、何が何やら分からぬ副所長は難色を示す。
すると、田村刑務官は一喝した。
「早くして時間がないのよ!急病患者なのよ!殺す気なのかッ!早く開けろ!!」
あまりの剣幕に思わず鍵を渡す副所長。
田村刑務官は大急ぎで、優子とともに見張り台のもとへ向かう。
11時5分…11時18分…11時25分…。
一向に、紙飛行機が飛んでくる気配はない。
「どうも…ありがとう…」
礼を述べ、祈るような気持ちで夜空を見上げ続けた優子は踵を返す。
その瞬間、田村刑務官は声をあげた。
「ほら見て!」
ひとつ…ふたつ…みっつ…。
数え切れないぐらいの真っ白な紙飛行機が、漆黒の空を舞っていた。
優子は塀に向かって走り出す。
「あの人…あの人だわ!あああ……」
壁にしなだれる優子は、いつまでも泣いていた。
所感
特に志もなく、刑務所に入職した田村刑務官。
そのため、向上心も感じられず、すぐ感情的になり受刑者とトラブルを起こしてしまう。
典型的なダメ刑務官だった。
そんな彼女に、なぜかやたらと絡んでいく受刑囚・村上優子。
たしかに、本編で理由は語られていたが、肝心の“なぜ田村刑務官”なのかは明かされていない。
彼女が新米刑務官で、すぐ感情的になることも理由だったのかもしれない。
経験豊かで冷静な対応ができる刑務官が相手では、トラブルになる前に沈静化させられてしまうだろう。
そういった意味では、うってつけの相手だったのかもしれない。
だが、本当にそれだけだったのだろうか。
優子の語ったことが真実だと知ったとき、田村刑務官はそれこそ始末書覚悟で上司に食って掛かっていく。
直情的な彼女らしいといえばそれまでだが、自分の立場よりも相手のために行動できる献身さが、田村刑務官の素晴らしい長所である。
もしかすると、優子はそんな彼女の人間性を感じ取っていたのかもしれない。
本作品を読んだ方の中には妻や母に裏切られ、心を傷つけられた諸兄もいるかもしれない。
もしそうならば、村上優子を許すことはできないだろう。
仮に、私が同じ立場なら、絶対に許すことはできないに違いない。
だが、全てを失ったとき、本当に大切なものに気づくのが人という生き物だ。
優子にとって、それは家族だった。
なので、無理は承知で想いを乗せ、手紙に認めたのである
とはいえ、決して許されないことも理解していた。
運命の日。
約束の時間から10分、20分、25分…無情にも時を刻んでいく…。
もはやこれまでかと諦めた瞬間、塀を越え夜の帳から舞い落ちる白い紙飛行機。
その白と黒のコントラストが胸を打つ。
そして、その白い紙飛行機の正体は、これまで何十・何百と優子が送り続けた家族への手紙だった。
言葉はなくとも、これほど心のこもった返事はない。
ときが流れ、3年の月日が経っていた。
そこには、人として立派に成長した田村刑務官の姿があった。
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