私はこれまで、インド映画が何となく苦手でした。
ですが、「ダンガル きっと、つよくなる」「バーフバリ 王の凱旋」を観て、その印象がガラリと変わります。
そして、今回紹介する「バジュランギおじさんと、小さな迷子」にトドメを刺されました。
本作は、私が21世紀になってから観た中で最も好きな映画です。
いや、人生でも1、2を争う名作と呼べるでしょう。
その証拠に、159分にも及ぶ放映時間にもかかわらず、全くその長さを感じませんでした。
さらに言うならば、アメリカの映画評論サイト「Rotten Tomatoes」では、驚異の満足度100%も達成しています。
これほどの傑作だというのに、なぜ日本では話題にならず上映館も少なかったのか…私には全く理解できません。
ストーリー
パキスタンの山あいに住むシャヒーダーは6歳の女の子。
実は、生まれながら声を出すことができませんでした。
娘を不憫に思う母に連れられて、インドにあるイスラムの聖廟へと願掛けに向かいます。
ところが、シャヒーダーは帰路の途中に母とはぐれてしまい、ひとり異国の地に取り残されてしまうのです。
そんな絶望的な状況で、偶然出会ったのがパワンでした。
ハヌマーン神への信仰が誰よりも篤いことに因み、“バジュランギ”の愛称で呼ばれる彼はとても心が美しい青年でした。
そんなバジュランギおじさんは異国の地で迷子になったシャヒーダーを見捨てることができず、ビザもパスポートも無い中、故郷に送り届ける決意をします。
こうして、敬虔なヒンドゥー教徒であるバジュランギおじさんと、イスラム教徒の小さな迷子の心温まる奇跡の大冒険が始まるのでした。
作品の魅力
インド映画特有の歌と踊りに加え、涙あり笑いありの本作品。
もちろん、魅力はそれだけにとどまりません。
撮影の舞台となった美しい風景も特徴のひとつに挙げられます。
シャヒーダーの故郷は、カシミール地方の山岳部が設定となっています。
生命の息吹が聞こえるような緑の絨毯や、雪原の凛とした美しさは思わず息を呑むほどです。
空中から撮影したことにより、その魅力をあますことなく伝えています。
また、インドとパキスタン両国に根強く残る政治的・宗教的対立へのメッセージも、本作を単なる娯楽作品から昇華させています。
パワンとシャヒーダーは様々な困難に遭いながらも、まるで暖かな陽光で凍てついた大地を溶かすが如く、愛の力でその障壁を壊していきます。
主役のパワンを演じたインド映画界の大スター、サルマン・カーンはかく語ります。
「この映画はヒンドゥー教とイスラム教、インドとパキスタンの対立を終わらせる可能性を秘めている」
このように、本作には人種や民族、宗教に端を発する憎しみの連鎖を断ち切るヒントが、随所に散りばめられているのです。
魅力的な主人公
1. バジュランギおじさん
この作品をここまで感動的に仕上げた立役者、それは主人公パワンことバジュランギおじさんをおいて他にいないでしょう。
冒頭、彼はヒンドゥー教徒のお祭りで、大勢の人達とキレキレのダンスを踊ります。
筋骨隆々の体躯で、特別ゲストかと思わせる強烈な存在感を放つパワンですが、実はただの地元の青年でした。
それどころか、箸にも棒にも掛からぬ落ちこぼれだったのです。
ですが、どこまでもお人好しのパワンは我々に、人間にとって本当に大切なものを語りかけます。
どこに行っても、彼の人間性に人々が惹きつけられてしまうのです。
そして、旅の途中でも多くの人々に人種や宗教の垣根を越え、幾度なく助けられました。
こんなバジュランギおじさんだからこそ、ピュアな少女の眼には信頼できる大人として映ったのでしょう。
一度は、旅行代理店を通し、シャヒーダーを故郷へ届けてもらうことを決めるパワン。
でも、少女との思い出が、心優しいバジュランギおじさんの脳裏によぎります。
すぐに思い直し旅行代理店に戻ると、なんと!シャヒーダーは売春宿に売られる寸前でした。
間一髪、間に合ったバジュランギおじさんは、今まで見せたことのない鬼の形相で少女を救います。
これがまた、恐ろしいほど強いんです。
さぞや心細かったのでしょう。
シャヒーダーは、泣きながらバジュランギおじさんに抱き着きます。
この一件で、パワンは決意します。
どんなことがあろうと、このいたいけな少女を故郷に送り届けると!
2. シャヒーダーの魅力
シャヒーダーも、バジュランギおじさんに負けない魅力の持ち主です。
この6歳の少女は、私が今まで見た子役の中で一番かわいらしいと感じました。
顔立ちもさることながら、大きな瞳と愛くるしい笑顔が観客の心を鷲掴みにします。
5000人ものオーディションからシャヒーダー役に選ばれたのは、ハルシャーリー・マルホートラという少女です。
映画出演時、役と同じ6歳でした。
彼女の凄いところは、大人でも難しい全く台詞のない役柄を見事に演じきったことです。
声を出せないので、目と表情、仕草だけで喜怒哀楽を表現しなければなりません。
共演のサルマン・カーンが「彼女と一緒に演技ができ、素晴らしい時間となった。6歳にして俳優が必要な全てのものを持っている」と絶賛したのも納得です。
シャヒーダーで二つ印象に残ることがあります。
一つめが、片手を挙げてニッコリと笑顔を浮かべながら首を縦に振るシーンです。
これはシャヒーダーにものを尋ねるとき、「正しかったらそうしてね」とバジュランギおじさんが頼んだポーズでした。
実際に見ると分かりますが、このポーズをとるシャヒーダーは究極の愛らしさです。
ですが、私は驚愕の事実に気づきました。
あの屈強なバジュランギおじさんが、同じポーズをしてもかわいく見えるんです。
つまり、ポーズそのものに“かわいさ補正”という魔法がかけられていたわけです。
是非みなさんも、明日から実践してみましょう!
ちなみに、私はやりませんが…。
もう一つは、額に手を当てながら行う「アチャ~」という仕草です。
バジュランギおじさんは正直さゆえ、絶対に嘘をつきません。
例を挙げると、パキスタンへの密入国後、警官に職務質問をされた際に「ビザもパスポートもないので、国境沿いの地下にある秘密のトンネルを潜ってやって来た」と正直に答えます。
このことが原因で、スパイとして指名手配を受けるハメに陥りました。
この男はバカ正直ではなく“ただのバカ”だと思ったのは、私だけではないはずです。
そんな時、シャヒーダーは決まって「アチャ~」の仕草を繰り出します。
しかも、愚直なバジュランギおじさんですので、「アチャ~」も1度や2度で済むわけがありません。
途中からは、彼女の愛嬌たっぷりな「アチャ~」がいつ出るか、ワクワクしながら観ていました。
しかし、一見コミカルなこのポーズ。
ムスリムではとても重要な意味があります。
銃弾に斃れたガンジーが薄れゆく意識の中で取ったのが、この額に手を当てるポーズだったのです。
意味するところは、「あなたを許す」でした。
もしかすると、シャヒーダーはバカ正直だけど心優しいおじさんを「しょうがないな~。でも、バジュランギおじさんらしいので許してあげますよー」と寛容の精神で受け入れていたのかもしれませんね。
主人公を助けた人々の善意
本作では、主人公に援助の手を差し伸べた善意の人々が数多登場しました。
中でも、印象に残る人物を紹介します。
1. モスクの導師
パキスタン入国後、スパイ容疑のパワンを匿ったモスクの導師は、劇中随一の人格者です。
一銭の得にもならないのに危険を冒し逃亡に手を貸すなど、異教徒に対しても分け隔てなく接する姿に真の宗教家とは?という命題に対する答えを得られた思いがします。
また、逃走を幇助する際にイカツイ体のパワンを自分の妻と偽るため、頭からスッポリとスカーフを被らせて女装させるアイデアには、思わず相好を崩すことでしょう。
「アラーは誰も拒まない。だから、(私はモスクの門に)鍵はかけない」という導師の箴言に、私は心から感銘を受けました。
2. “真のジャーナリスト”ナワーブ
私の一番のお気に入りが、“売れないリポーター”ナワーブです。
最初の登場シーンでは、階段の途中から実況中継をし始めます。
ところが、彼の存在を無視して次々と通行人が遮って行きました。
「何なんだ!少しは空気を読め!」と悪態をつくナワーブ。
というか、「通行人であふれる階段で中継を始めるオマエが空気を読めよ!」とツッコミどころ満載です。
突然始まったショートコントに、この面白オジサンから目が離せなくなりました。
ですが、この男は唯のコメディアンではありませんでした。
あるとき、逃亡するパワン達を見つけスクープのために尾行しますが、彼の人柄を知り無実だと確信すると、同伴者として一行に加わります。
その目的はパワンの無実と素晴らしい人間性を伝えること、そして、もの言えぬ少女の母親を探す手助けをするためでした。
密着取材を敢行し、彼らのドキュメンタリーを撮り続けたことが、結果としてパワンの無実を証明することに繋がります。
刑務所に拘束されたパワンの無実を訴えるために、インターネットに配信するナワーブ。
「彼はスパイなどではない。インドで迷子になっていた少女を母親のもとに送り届けるためだけに、ビザもパスポートもない彼は命がけでパキスタンに入国したのだ。その行動の動機は、ただ一つ。愛であった」
ナワーブの口から紡がれた真実が様々なしがらみを越え大衆の心を打ち、心優しい青年の窮地を救うべく国境の検問所へと足を向かせ、大きなうねりを巻き起こします。
“真のジャーナリスト”ナワーブこそ、本作品に欠かせない名バイプレイヤーでした。
感動的なラストシーン
もうすぐシャヒーダーの故郷に着くという所で、パワン達が乗車するバスは検問に引っかかります。
万事休すという絶体絶命の場面でパワンは自らが囮になり、シャヒーダーらを逃がすのでした。
その甲斐あって、ナワーブに連れられたシャヒーダーは、ついに母と感動の再会を果たします。
長い旅路の末にたどり着いた、夢にまで見た瞬間でした。
しかし、パワンは警察に捕えられてしまいます。
スパイ容疑をかけられ連日にわたる拷問を受けるパワンですが、無実の証拠を掴んだ刑事の侠気によって刑務所から釈放されました。
刑事に付き添われながら母国に帰るため国境の検問所に向かうと、そこにはインドとパキスタン両国から7000人ものパワンを支援する群衆が集まっているではありませんか。
それはひとえに、底抜けにお人好しの青年が一人の少女に捧げた無償の愛に、心を動かされたからに他なりません。
検問所を通過しようとするパワンの行く手を、「ここを通すわけにはいかない」と阻む検問所の小隊長。
しかし、国民の安全と正義を守るという同じ志を持つ刑事の熱い説得に、道を譲る小隊長の心有る行動に帰国が叶いました。
こうして、パワンがついに国境の関所を通過し、祖国インドの土を踏もうとしたその刹那、奇跡が起こります。
母親とともに見送りに来ていたシャヒーダーが、検問所の鉄条網を揺らしながら声にならぬ声でバジュランギおじさんに呼びかけます。
何度も何度も、必死に叫ぶ6歳の少女。
しかし、声ならぬ声は恩人には届きません。
と、その時、シャヒーダーの魂の叫びは辺りの空気を切り裂き、バジュランギおじさんの耳に響きます!
「おじさん!」
その瞬間、バジュランギおじさんはシャヒーダーのもとへ駆け出し、シャヒーダーもまたバジュランギおじさんに向かって懸命に走ります。
人々の善意と、ふたりの美しい心が通じ合えばこそ、実現した奇跡と再会の物語。
そこには、もはや国境も宗教をも超越した「ボーダレスな世界」が広がっていました。
まとめ
この映画は豪奢な歌と踊りのみならず、笑いと涙、そして政治的・宗教的問題にまで踏み込んだ珠玉の作品です。
エンディングで敬虔なヒンドゥー教徒のパワンが、国境に駆け付けてくれた人々にアラーの神を讃えるイスラム教徒のポーズで礼をします。
すると、イスラム教徒であるシャヒーダーは、ヒンドゥー教のハヌマーン神への感謝で応えます。
お互いの敬意が全ての人に伝わる、そんな魂の琴線に触れるシーンでした。
私の敬愛する“悲運の闘将”西本幸雄の座右の銘「ひたむきに誠実に生きれば、その思いは必ず伝わる」という愚直のダンディズムを、そのまま具現化したようなバジュランギおじさん。
彼のような心ある人々が、増えることを心から願います。
なぜならば、それこそが対立を終わらせる唯一の道なのです。
私が人生で最も感動した名作を、一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
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