今回は、「マスターキートン」レビュー第14弾として『バラの館』を紹介する。
人間にとって最も難しいこととは何だろう。
それは、最後まで人を信じ抜くことではないだろうか。
その人を愛すれば愛するほど、人は相手の心に疑念を抱く生き物だ。
本作は人を信じることの難しさ、そして本当の愛について考えさせる物語である。
ストーリー
イギリスのメードストンで、実業家のライマンが殺害される事件が起こった。
背中に刺さっていたバラ剪定用のハサミから持ち主のエリックが犯人とみられたが、事件以来、行方をくらましていた。
ライマンには美しい妻フローラがおり、彼女は悲しみに暮れていた。
そんな美貌の未亡人の傍らに寄り添うのが、私立探偵チャーリー・チャップマンである。
保険会社への報告書作成のため現れたキートンに、けんもほろろの態度で言い放つ。
「ライマン夫人に何の用だ!」
驚くキートンに、チャーリーは言葉を継ぐ。
「どうした?私立探偵の俺がここにいるのが不思議か?俺はライマン夫人から護衛を頼まれたんだ。お前のような胡散臭い奴から守るためにな!あの美しい人を、これ以上悲しませる奴は俺が許さない。昔からお前が現れると、ろくなことが起こらない。とっとと帰れ!」
実は、キートンとチャーリーは幼馴染みだったのである。
そして、どうやらチャーリーは、あの“美しい人”に心を奪われているようだ。
ところが、事件は思わぬ方向に展開する。
真相を見破ったのは、“マスター”キートンの慧眼だった。
チャーリー・チャップマン
キートンとチャーリーは、少年時代にキートンが母の祖国イギリスにいた頃に知り合う。
当時から、体が大きくガキ大将だったチャーリーだが、キートンには誰にも知られたくない秘密がバレてしまう。
その風貌と強気なキャラに似合わず、マザコンだったのだ。
チャーリーが未亡人フローラに好意を抱くのは、何も美しい外見だけに惹かれた訳ではない。
彼女が作るチェリーパイの味が、母親と同じ味だったのである。
チェリーパイを頬張りながら、チャーリーはキートンに釘をさす。
「キートン、今度という今度は邪魔するなよ!」
探偵業に就いてからも、たびたびキートンの前に後れをとっていたのだ。
もちろん、キートンは鼻にかけるような真似はしないが、プライドの高いチャーリーは煮え湯を飲まされた気持ちを抱えていた。
そんなチャーリーは愛するフローラを守るため奮闘する。
夫だけでなく、その妻をも亡き者にしようと画策する逃走中のエリック。
車のブレーキオイルを抜き、あわや大事故になるところを、チャーリーが身を挺してフローラを守った。
そして、愛犬が毒を盛られた牛乳を飲み、死んでしまう。
その牛乳は朝配達されたものであり、一歩間違えばフローラの身に起こったかもしれない。
さすがに事ここに至り、フローラはフランスの叔母のところに避難する決断をする。
フローラの安全を考えれば、最善策だろう。
だが、チャーリー・チャップマンは身を切られるような想いが押し寄せる。
愛する人との別離が、すぐそこに迫っているのだから…。
だが、フローラとの別れは予想だにせぬ結末で訪れた。
真相
一方、ライマンの検死写真を見たキートンは、釈然としないものを感じていた。
ライマンはバラの花壇に倒れていたが、そのバラ・スターリングシルバーは棘が少ない。
にもかかわらず、ライマンの顔は傷だらけだったのである。
犯人エリックの作業小屋を調査するキートン。
泥の付いたスコップの他に、長椅子が目に留まる。
その目の前の床に、引き摺ったような跡があったのである。
長椅子をどかすと、隠れていた後ろの壁に血痕が残っていた。
そして、何と!鑑定の結果、その血痕はエリックのものだった!
叔母の家に旅立つフローラが空港までチャーリーに護衛を頼むため、キートンたちの前に現れた。
キートンは決然と言い放つ。
「奥さん!旅行は中止してください。警察にここを掘り起こしてもらうまで…」
その場所とは、薔薇の一種で棘の多いパパメイアンを掘り返した一角であった。
フローラの説明では、スターリングシルバーを生かすため抜いたのだと言うが、真相は違う。
フローラはパパメイアンの上で夫を殺したため、顔に無数の傷がついたのだ。
そして、その場所に、逃走中のはずのエリックが埋められていた。
もちろん、犯人はフローラである。
つまり、ブレーキの故障や犬の毒死は全てエリックの犯行に見せるための、フローラによる自作自演だったのだ。
キートンの名推理に、膝から崩れ落ちるフローラ。
そして、真実を打ち明ける。
「私…エリックを愛していたのよ…ふたりでバラを育てているだけで幸せだった。でも、普段から暴力的だった主人はそれを知り逆上したわ。殺されると思った…だから、私…思いあまって…」
涙を浮かべながらフローラは続けた。
「エリックは一緒に逃げてくれると思った。私を助けてくれると信じてた…なのに、彼は自首をすすめ、警察に通報しようとした…私のことなんか、愛していなかったのよ!!」
キートンはきっぱりと否定する。
「いえ…エリックさんが自首をすすめたのは、心からあなたを愛していたからだと思います」
「あなたに何が分かるっていうの!?あなたなんかに何が…!」
激昂するフローラにキートンは、スターリングシルバーに目を向けながらこう言った。
「この新しいバラ…エリックさんは新種登録を申請しようとしていました。登録名は“グレースフル フローラ”…“優美なるフローラ”です」
「エリックゥゥゥ!」
号泣するフローラはエリックが眠るパパメイアンの跡地に身を投げ出し、その場所を抱きしめた…。
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所感
真実を知ることは、ときに何よりも残酷である。
そのことを感じさせる名作が、この『バラの館』といえるだろう。
フローラについて、語るのは難しい。
結婚している身でエリックに惹かれたのは、夫の暴力が原因となったのか…それとも、それとは別の理由なのか…。
挙句の果てに、最愛のエリックまで逆恨みの末に殺害し、保身のため物騒な自作自演まで仕掛ける始末である。
だが、エリックへの愛ゆえに憎しみに転じてしまったことは、とても憐れに感じた。
そして、エリックの真実の愛を知った今、彼女の心が救われる日は来るのだろうか…。
加えて、本作の読後感はあまりに切ない。
しかし、後味の悪さだけが残るかというと、そうでもない。
なぜらば、エリックのフローラへの純粋な想いが余韻として残るからであろう。
きっと、エリックは罪を償い終えるまでフローラをバラの館で待ち続け、彼女と一緒に“グレースフル フローラ”を育てることに想いを馳せていたのではないか。
彼の真心が、フローラに届かなかったことがとても残念だ。
物語の序盤、チャーリー・チャップマンがキートンを見つけた瞬間、脳裏によぎった嫌な予感は現実になってしまう。
彼もまた愛する人の真実に直面し、深く傷つく様子が後ろ姿に現れていた。
哀愁漂うラストシーン。
チャーリー・チャップマンは去り際に呟いた。
「だから、言ったんだ。お前が現れると、ろくなことにならない…と」
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