ドキュメント72時間「秋田・真冬の自販機の前で」レビュー

ノンフィクション




「ドキュメント72時間」は毎週金曜日22時45分から30分間、NHK総合テレビで放送中のドキュメンタリー番組である。
一つの場所を72時間連続で定点観測し、そこを訪れる人々に簡単な話を聞いていく構成となっている。

これまでいろいろなドキュメンタリー番組を観てきたが、これほどシンプルで素朴な作りになっているものも珍しい。
芸能人や有名人の類は全くと言っていいほど登場せず、過剰な演出もない。
まるで、大葉とわずかばかりの具材しか入っていない、すまし汁のような風情である。
しかし、良質な出汁が利いた上品な味わいに仕上がっているのも、この番組の特徴だ。

中でも、長きにわたり放送された当番組において、栄えある歴代No.1に輝いた「秋田・真冬の自販機の前で」の回は、心に沁みるものだった。

本稿では、その放送回について内容と所感を述べていく。

放送内容

それは、秋田港の片隅で静かに立っていた。
一般的にはあまり馴染みのない、うどん・そばの自動販売機である。
しかも、麺だけバラ売りするのではなく、容器に麺や汁が入れられた熱々のうどん・そばが販売されている。
放送当時の値段は200円だった。

ロケは真冬の1月中旬に行われた。
自販機で出来立てのうどんやそばを購入した人たちは、その隣で食べていた。
庇の下にテーブルと椅子があり、容器に入った唐辛子が紐でぶら下げられている。

だが、ひとつ大きな問題があった。
約40年稼働し続けたこともあり、機械の一部が故障しているため、お湯の量の調整がきかず汁がこぼれながら注がれる。
困ったことに、古い製品のため換えの部品が無く、修理することができない。
なので、以前に比べて薄味になってしまったという。

それでも、自販機には多くの人が訪れる。
驚くことに、日中だけでなく、深夜・明け方でも関係ない。
しかも、雪が吹き荒れる中、庇の下で食べている姿まで見受けられた。

多忙のため、ゆっくりと昼食を取れない保険マン。
夜7時、仲良く連れ添うアラフォーカップル。
仕事の途中で立ち寄ったトラックの運転手。
妻に先立たれ、毎日のように車で15分かけて食べにくる78歳のご老人。
やんちゃした青春時代から通い続けるシングルマザーなどなど…。

機械に設置されている販売数を表すカウンターは、なんと40万食を超えている!
いかに、地元民に愛されているかが分かるだろう。

印象深い登場人物たち

番組の序盤はユーモラスな雰囲気も漂うが、中盤を迎えると徐々に陰影を帯びてくる。
個人的に印象に残った人々を紹介する。

父と息子

地吹雪が吹く夕暮れ時、庇の下で身を寄せ合うように椅子に腰掛ける親子。
どうやら、うどんを完食したようだ。

「最高です。おしいです」

スタッフが近づくと、笑顔で答える父親。
その頭は、吹き込む雪で白くなっている。

父親は40歳、息子は13歳の中学生だという。
だが、なぜこんな日に、うどんを食べに来たのだろう。

父は人懐っこい表情で話し始めた。

「こうやって、出かけるのも今だけでしょう。子どもが大きくなったら親と出かけるなんて、そうないっすから」

週末は、母親がパートに出ているため、いつも二人っきりらしい。
なので、毎週のように、思い出を作ろうと息子を連れ出していた。
そして、息子の頭に降り積もる雪を払いながら、しみじみと語る。

「(息子が)二十歳ぐらいになったら、酒飲みにいきてぇな…それが、僕の夢ちゅっうか…」

人柄が滲み出る、優しい笑顔で笑う父。
凍えるような寒さとは対照的に、息子に向ける眼差しは温かった。

ある運転代行員

朝4時、39歳の男性は運転代行の仕事帰りに、自販機に寄ったという。
仕事の後、ひとりになりたいときの日課らしい。

その男性は言う。

「ここは、結構おいしいのと、海の潮風の香りに癒される。だから、いろんなことを忘れられる」

本業はイベント企画業であり、昨年ひとりで起ち上げた。
祭りなどで、地元を盛り上げたいと一念発起する。
だが、なかなか軌道に乗せられない。
秋田市内もご多分に漏れず不景気で、市街地もシャッター通りと化している。
今は母親と二人暮らしで、1日数千円の稼ぎで生活を営んでいた。

そんな彼に、番組スタッフは尋ねる。

「イベント1本では、ダメなんですか」

男性は何とも言えぬ表情で、繰り返し首肯する。

そして、麺を噛みしめながらこう言った。

「やっぱり、ここ…すごいおいしいっすね。安くて手軽で…心まで温まる」

そう言って食べ終わると、軽自動車で家路についた。

私はこのやり取りに、寂寥感とともに違和感も覚えずにはいられなかった。
このスタッフの質問は、いかがなものか…。
酷寒の中、数千円のために夜通しで働いているのである。
本業だけで暮らしていけないことは、明白だろう。
ただでさえ、ひとりになりたい気持ちを抱えた男性に、あまりにも無神経な問いを浴びせたことは、残念としか言いようがない。
言葉にならず、何度も頷く男性の姿があまりにも切なかった。

だが、最後にしみじみと語った言葉に少しだけ、私は救われた気持ちになる。
男性にとって自販機とこの場所は、かけがえのない本当に大切なものだと感じ入った。

人生を振り返る洋菓子職人

吹雪が止んだ翌朝、その男性は独りうどんを食べていた。
この53歳洋菓子職人の男性は、今回最も心に残った人物である。

「たまに、無性に食べたくなる」

若い時代、足しげく通ったこの場所に、最近また来るようになった。
去年、突然がんを宣告されたことが、きっかけだったという。
以来、往時の日々を思い出すことが多くなる。

男性は静かに語る。

「たまに、無性に振り返りたくなる時があるのかな。50を過ぎて、いろんなことがあって…ひとりで来るようになったのは最近なんだけど、昔は必ず友達や彼女と来ていた。そういう思い出もあるんで…」

そして、言葉を継ぐ。

「一緒に来てた人たち…どうしているんでしょうね。そういうのを思い出しながら食べたりして…ひとりなんだけど、ひとりじゃないような気がする。不思議な自動販売機ですね」

淡々とした語り口に、かえって人生の哀感が漂った。
だが、その懐かしき日々と自販機が、心の拠り所になっているのも事実だろう。

男性は少しだけ笑みを浮かべ、手を振ると、雪道に車を走らせた。

まとめ

「ドキュメント72時間」。
大袈裟な演出も特になく、日常の中に存在する“平凡だが大切な場所”を撮影し、ありのままを放送する。
その抑揚を抑えた映像に、市井の人々の人生模様が垣間見える。

一杯200円のうどん・そばに宿る、温もりとノスタルジー。
今日も、その自販機は訪れる人々の傍らに寄り添っている。

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