「この人に出会えて良かった。誰にでもそんな出会いがある。僕にとってあなたがそうだった。僕があなたに教わったのは、きっと絵を描くことだけじゃなかったはずだ」
本作の主人公・青山霜介(そうすけ)が描く水墨画は美しい。
だが、その線には深い悲しみが湛えられていた。
2年前、両親を亡くし喪失感に苛まれる日々。
そんな彼の師が紡ぐ言葉。
「線の一つひとつに歩んで来た道が…君という人間が正直に映る」
まさに彼の絵はそれを表しており、そして、その言葉を体現するように成長していった。
ストーリー
大学生の青山霜介は2年前、事故で両親を失った。
ある日、彼は水墨画の展覧会設営のバイトで汗を流していた。
帰りしな、優しい笑顔を絶やさぬ老紳士に声をかけられる。
その老紳士は、水墨画の大家・篠田湖山だった。
行きがかり上、一緒に水墨画を鑑賞することになり、一枚の薔薇の絵が目に飛び込んで来た。
その偶然の邂逅が、青山霜介を水墨画の世界に導いていく。
そして、水墨画や様々な人々との出会いが霜介を成長させ、永遠にも思えた喪失感を少しずつ癒していくのだった。
青山霜介の審美眼
展示会で目にした薔薇の水墨画。
実は、篠田湖山の孫娘・千瑛(ちあき)の作品だったのだ。
霜介は水墨画初心者にもかかわらず、巨匠・篠田湖山を唸らせるほどの慧眼の持ち主だった。
千瑛の絵は圧倒的な存在感を放ち美しかったが、霜介はどこか苦手に感じてしまう。
まるで気の強い美女に睨みつけられているような印象を受けたからだ。
それをそのまま、篠田湖山に話したのである。
こうした縁に加えて、篠田湖山の勧めも相まって、なぜか弟子入りすることになる霜介。
後日、霜介が湖山の家を訪ねると千瑛がいた。
果たせるかな、絵の印象そのままの千瑛だが、徐々にふたりは打ち解けていく。
ある時、千瑛は呟いた。
「渾身の薔薇で賞レースに挑んだがダメだった。私の薔薇には何かが足りない…」
それを聞いた、霜介は虚心坦懐にこう言った。
「足りないんじゃなくて、有りすぎるんじゃないんでしょうか」
そのひと言に、千瑛はハッとした。
才気あふれる千瑛の絵は確かに美しいが、圧が強すぎて落ち着かない。
そこにはやわらかさ、たおやかさは皆無であり、代わりに挑むような鋭さと近寄り難いオーラが漂っていた。
まるで、千瑛の心の映し鏡のように強気一辺倒だったのである。
私には、千瑛のリアクションは霜介の審美眼と的確な表現に驚きを隠せなかったように見えた。
そして、霜介と出会ったことにより、クールビューティーで威圧感さえ漂う千瑛自身が、良い意味で変わっていった。
篠田湖山が紡ぐ言の葉
初めての指導の際、篠田湖山に水墨画を描いてみるよう言われ、霜介は逡巡した。
それはそうだろう。
日本有数の水墨画家を前にして、未経験のそれも一介の大学生が気後れするのは無理もない。
そんな霜介に、篠田湖山は穏やかに言う。
「できなくていいんだ。できることが目的じゃないよ。やることが目的なんだ」
まさしく人生の達人の箴言ではないか。
緊張する若者に悠揚迫らぬ物腰で、成否ではなくチャレンジすることの大切さを説いているのである
そして、時を忘れ、水墨画と向き合った青山霜介に話しかけた。
「君の寂しさが、少しでも癒えたならば良かった」
またあるときは、「美しい墨が美しい絵になる」と言葉を添え、霜介に墨をすらせる。
だが、何度もやり直しを命じた。
「僕は何をやっているんだろう…」
そう自問自答する霜介の耳に、庭から鳥のさえずりが聴こえてきた。
夢うつつの心持ちで墨をすり終わる。
すると、篠田湖山はにっこりと微笑んだ。
「うん。きめ細かくやわらかい良い墨になった。自然な力ですれば、墨もあるべき美しい墨になってくれる」
これ以降、霜介の墨には伸びやかさ、やわらかさが備わった。
そして、篠田湖山は言葉を継ぐ。
「君は真面目でがんばり屋。困難な物事にも、ひとりの力で立ち向かおうとする。自分の心とばかり向き合わないで、自然を感じてそれらと一緒に絵を描く。それが水墨。水墨は決して孤独なものではない」
霜介の寂しさと孤独感、そして人物像までひと目で見抜く篠田湖山。
弟子の慧眼を褒め讃えた彼こそが、真の慧眼の持ち主といえるだろう。
まとめ
本漫画は、元々小説だった作品をコミカライズしたものである。
一説によると、小説版は漫画以上に奥深い、秀作に仕上がっているとも耳にする。
映画化されたのも頷ける。
ちなみに、横浜流星主演で10月21日公開とのことである。
唐の時代に成立し、大陸から日本に伝わった水墨画は花鳥風月が織り成す日本の四季と調和し、伝統文化を今に伝える。
それは筆が生み出す「線」の芸術であり、画家が描くのは「命」である。
その「命」を主人公・青山霜介が墨にのせ、“一筆入魂”とばかりに心血を注ぐ『線は、僕を描く』。
本作品は、アート漫画の世界に新しい地平を切り拓いた。
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