赤木しげるがアルツハイマーだという事実…。
まさに、ひろゆきにとって青天の霹靂であった。
そんな中、赤木しげるの通夜が粛々と、そして厳かに行われていく。
安楽死を迎える前に、一人ひとりが赤木しげるとの最後の刻を過ごすのであった。
別れの儀式
赤木の意志を汲み、今回の葬儀の一切を取り仕切ったのが金光住職である。
他の者たちは今日いきなり衝撃の事実を突き付けられ、心の整理をする時間もなかったに違いない。
そのことを踏まえ、少しでも時を稼ぐため、まずは金光が赤木との今生の別れに赴く。
こうした、さりげない気配りができる旧友だからこそ、赤木しげるほどの男が全幅の信頼を寄せ、最期の刻を託したのである。
金光の訪いに、「おー!初っパナはやっぱり金光か」と気さくに声をかける赤木。
「そりゃそうさ…邪魔するぜ」
金光は阿吽の呼吸で返した。
このやりとりだけで、いかにふたりが気の置けない仲なのか伝わってくる。
これから死のうというのに、赤木しげるは酒を飲み、寛いでいる。
「しかし、知り合いに話の分かる坊主がいて助かった…感謝するぜ!今回のことは」
礼を述べる赤木。
「よせよ!礼には及ばねぇ…唯一、始末に困ったのはお前に返してくれといわれた借金のことだ。どこに行っても、突き返されて困った…向こうは貸している気じゃなかったみたいだぜ」
赤木しげるの律義さが分かるエピソードであり、また周りの人々から慕われていたことも窺える。
普段と全く変わらぬ様子の赤木を見つめる金光の胸中は、いかばかりのものがあったことだろう。
察するに余りある。
そんな中、赤木しげるが切り出す。
「何というか…常々、逆だと思っていた」
「逆?」
訝しがる金光。
「通夜のことさ。死んでからみんなに集まってもらっても、死んだ人間にしたら何が何やら分からぬ…せっかく集まってもらうなら死ぬ前だ!死ぬ前に会い、話があるなら話しておくべきだ」
全くの正論である。
「そう考えた時…東西戦だった。あれが俺の最後の真剣勝負。死の際に話をするなら、あの連中だ。あの連中と最後に二言三言、言葉を交わし逝くことができたらこれに勝る引き際はない」
全ての段取りを整えた金光でさえ初めて聞かされる、今回の儀式に対する赤木しげるの真意。
その言葉を聞き、金光の心は揺れた。
「本当にいいのか…?これで、死んじまって!」
やはり、赤木しげるという友の死は簡単に受け入れられる訳などない。
「勿論だ!心配するには及ばない。掛け値なし…俺はこのまま死にたいのだ」
一切の迷いなく言い切る赤木しげる。
「わしはずっと迷ってきた…本当にこんなことをしていいのかと。本当にこんな…友の死に手を貸すようなことをしていいのか…って。平静を装いながらも、ずっと…」
迷いを隠せぬ金光に「フフ…いいんだよ、それで」と、ひとりの友として語りかける赤木しげる。
「わしは、冷たい人間なんじゃないか…って…」
その瞬間、赤木しげるは金光の言葉を遮った。
「金光ッ…!それは違う!」
ピシャリと言い放つと、赤木しげるは続けた。
「冷たい人間がこんな面倒なことに首を突っ込むもんか。冷たい奴ってのは、いつだって傍観者だ。あんたは温かい男さ…!すまなかったな…嫌な役目だった」
友の言葉についに堪えきれなくなる金光は、滂沱の涙を流しながら必死に訴えた。
「赤木!一つだけ約束してくれないか。わしはもう止めん!だが、これから7人の男たちが、それぞれの言葉で引き止めるだろう。その時、意地になって欲しくねぇんだ!ちょっとでも止めようと思ったら、恥ずかしくないからやめてくれ!心が引き返したら、これまでの姿勢をかなぐり捨てて引き返してくれ!それを誓ってくれないか」
「いいさ、約束しよう。意地じゃ突っ込まねえ。迷いが生まれたら引き返そう…死ぬ時は心から死ぬ!」
真剣な眼差しで誓う赤木しげる。
金光は部屋を出ると、夜空に浮かぶ月に目をやった。
「心から死ぬ…か…」
赤木しげるのあまりにも重い覚悟を反芻し、「止めたいが、わしはもう言葉を尽くした。あとはあの連中に託すだけ」
そう自らに言い聞かせ、7人の戦友の待つ部屋へと戻る清寛寺住職・金光修蔵であった。
旧友・金光との語らい。
それは赤木しげるの優しさ、温かさが凝縮したものだった。
若き赤木しげるは怜悧・冷徹で、まるで氷のような雰囲気を醸し出していた。
それが死を目前にして、友の自殺幇助に手を貸すことに良心の呵責を覚える金光にかけた言葉は…なんと温もりに満ちたものだろう。
「冷たい奴ってのは、いつだって傍観者」
この赤木しげるが語りし箴言に、いたく納得したのは私だけではないはずだ。
安楽死
私はこの話に触れ、以前読んだ安楽死の記事を思い出す。
それは赤木しげる同様、不治の病に冒された女性が家族の反対を押し切り、安楽死のためにスイスまで赴く話である。
彼女はずっと悩み続けていた。
「死にたい気持ちを優先する私。それとも、生きて欲しいと望む両親…。一体どちらがエゴなのか」
彼女は幼い頃から難病CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)を発症し、手首から先と足を動かせない。
一日の大半をベッドで過ごしており、両親の献身的な介護がなければ生きられない。
数十年にわたり、ステロイドを始め可能な限り治療を試みたが、目立った効果はない。
あるのは頭痛や吐き気など副作用のみであり、そのたびに心身ともに悲鳴を上げた。
そして、とうとう蓋をしてきた感情が爆発するようになり、安楽死を希望するようになる。
最後は両親が折れ、父親とふたりスイスに旅立った。
両親に対して何とも言えない思いが去来するものの、彼女は心からこう言った。
「介護する両親が老いていく一方で、私は強い罪悪感に苛まれながら生活しています。安楽死が認められたことでようやく人生を終えることができ、解放感でいっぱいなんです」
最終的な意思確認が行われ、安楽死の措置が行われた。
医師から処方された致死薬入りの液体を口に入れると苦味が広がった。
これが死の味なのだろうか。
「やっと…楽になれる」
娘の手を固く握る父親は目を真っ赤にしながらも、最期のときを見届けようとする。
彼女は父の胸中に思いを馳せた瞬間、ふいに罪悪感に襲われた。
どんなに医療費がかかっても娘の回復を信じ、額に汗して働き続けた父。
娘を励まし続けテニスボール大の円形脱毛症を作りながらも、笑顔を絶やさずリハビリに介護にとサポートしてくれた母。
こうした家族の顔が走馬灯のように甦り、涙でむせび致死薬を飲み込めなくなってしまう。
この様子を見た医師は安楽死を中止した。
「あなたは両親を悲しませたくないと思っているのよ…とても勇敢だわ。運命があなたにもう少し生きることを望んだのよ」
一方、「愛の中で逝かせて」という思いを遂げ、安楽死した女性もいる。
21歳で安楽死したオランダのデニーセさんはアスペルガー症候群だったこともあり、他人と円滑なコミュニケーションが取れず、たびたびパニックに陥った。
徐々に精神が蝕まれ、15歳で初めての自殺未遂を試みてから10回以上も繰り返す。
「他の人が当たり前にできることができない」
ずっとこの思いに苦しんだ彼女は家族に見守られながら、笑顔を浮かべ旅立った。
対照的に、ギリギリのところで安楽死を回避した女性は、今でも死ねなかったことを後悔しているという。
なんという希死念慮なのだろう。
私は二つの記事を読み終え、想像した。
もし、自分が不治の病に罹り寝たきりになって、絶え間ない激痛に襲われ続けたとしたならば…。
心の弱い私は安楽死を希望するだろう。
「通夜編」を熟読し“人は自由に生き、とき来たならば自由に死も選ぶべき”と感じた今ならば尚更だ。
安楽死に対しての思いは、十人十色に違いない。
大切なのは最期までその人らしく生き、そして尊厳が守られることだろう。
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