東西の選りすぐりの代打ちが莫大な利権をかけ、開催された「東西戦」。
予選を勝ち上がった8名のメンバーは、東が天、アカギ、銀次、ひろゆき、西は原田、僧我らに決まる。
その数日後、ついに決勝の舞台が幕を開けるのだった。
前哨戦
予選から3日後、東西の代打ちが料亭に集まった。
決勝におけるルール確認のためである。
予選から新たな条件が幾つか加わったが、最も異質なのは10巡交代制だろう。
いわば麻雀のタッグマッチともいえるルールであり、10回切ったら仲間と交代するシステムだ。
これなら、1卓で8人全員いっぺんに戦える。
だが、この提案をした西には明確な狙いがあった。
8人のメンバーで明らかに雀力が劣るのが東のひろゆきであり、常にウィークポイントのひろゆきを戦いに絡ませる狙いだったのだ。
いきり立つひろゆき
このルールではひとり“穴”がいるだけで、チームは壊滅的に不利な状況に追い込まれる。
たとえば、天才・赤木しげる渾身の闘牌も、それを引き継いだ“穴”が台無しにしてしまう。
もちろん、当のひろゆきは誰よりもその事実を痛感していた。
だからこそ、いきり立ち肩に力が入る。
力むひろゆきに、いつの間にか赤木しげるが近づいていた。
「クク…あっさり行け…!」
「え…?」
たばこを吹かしながら語るアカギに、ひろゆきは困惑する。
「今、お前…ここは一番がんばろうと思っていただろう?その考えがすでに嵌ってるのさ…西側の戦略に…」
図星を突かれ言葉も無いひろゆきに、なおも赤木しげるは言葉を継ぐ。
「これから試されるのは、今お前が持っているような勝とうとする意志じゃない…そんなものは邪魔なだけ…ただ普通にいつもの打ち方をする。そういうことが試される…平常心!見失うなよ…自分を」
決勝開幕
料亭「菊村」で某日午後9時、東西戦決勝が幕を開けた。
10巡交代制という異様なルールの中、ひろゆきの配牌は万子が10枚も押し寄せる。
さらに第一ツモで六万を引き、これで万子が11枚となった。
のっけから天の配剤に恵まれたひろゆきは敵に悟られぬよう、慎重に手を進める。
そして8巡目、面前で清一色を聴牌する。
手牌は一二三四四四六六六七八八九で、七・八万待ちである。
序盤から捨て牌に万子を切っており、清一色の匂いを消している。
ここまでは理想的な展開だった。
ところが、原田がペン3筒をチーして場が動く。
次巡、ひろゆきが引いてきたのはドラの5筒だった。
染め手模様の原田に打ち切れず、八万を切り5筒単騎に受け替える。
そして、今度は東を引かされる。
逡巡した末にひろゆきは東をツモぎると、原田から「ポン!」の声がかかり、手の内から4筒があふれた。
その瞬間、ひろゆきは我に返る。
「なぜ、先に5筒を打たなかったのか」
一色手に対し、字牌と数牌がある場合、数牌から切るのがセオリーだ。
下家ならまだしも、対面の原田はポンしか鳴けず、東と5筒ならば圧倒的に東の方がポンされる確率が高いからである。
そもそも清一色で突っ張るつもりなら、なぜ5筒を引いたときツモ切らなかったかも後悔した。
完全に浮足立ち、中途半端な選択を繰り返すひろゆき。
ある意味、最も覚悟なき最低な打牌といえるだろう。
そして、まさにこれこそが、ひろゆきを穴と見る西が理想とする展開だった。
泳ぎ
11巡目、ひろゆきはアカギとチェンジする。
一二三四四四六六六七八九⑤の手に、五万を引いてきた。
5筒を切れば、三・四・五・六・七万待ちの5面張となる。
だが、さすがのアカギもドラ5筒は切りきれず、ここは一端、四万を切り聴牌を崩した。
次巡、今度は6筒を引く。
すると、赤木しげるは手牌を伏せ、後ろで観戦するひろゆきにこう言った。
「ひろ…囚われるな…おまえの麻雀のステップはもっと軽かったはずだ。それが今はベタ足でドタバタと見苦しいったらない」
そして、敵の三井から4筒が出て、ピンフ・一通・ドラ1をあがるアカギ。
「フフ…倍満とはいかなかったが、ここはこれでよしだ…」
そして、呆気にとられるひろゆきに、赤木しげるは語りかける。
「5筒はお荷物じゃない。清一色に心が縛られているから5筒が荷物にしか見えねえ…配牌に恵まれたときから、お前はもうおかしかったよ。頭にカッと血が上って、もう柔軟な思考が出てこねえ…苦戦するぜ、そんなザマじゃ…思いだしな泳ぎを…お前は今、自分の心に溺れている」
所感
赤木しげるは風来坊にして個人主義、決して仲間と徒党を組むようなことはしない。
だが作中で唯一、弟子的な存在がいるとすれば、それはひろゆきに他ならないだろう。
戦いの最中苦境に立たされたとき、人生に行き詰まり道に迷ったとき、そこにはいつも赤木しげるがいた。
今回も自らを狙い打つような西の策略に憤るひろゆきに対し、赤木しげるはさりげないアドバイスを送る。
今回の「泳ぎ」もまさに、ひろゆきに贈る珠玉の名言だった。
赤木しげるが語る平常心。
経験を積めば積むほど、その重要性が身に沁みる。
ひろゆきならずとも、人はみな大一番の前には平常心を保てず、己を律することが難しくなる。
だが、普段どおり戦えない時点で、すでに歯車が狂っている。
こうした勝負の理を、まだ若いひろゆきに諭す赤木しげる。
まるで、ふたりは師弟のようではないか。
残念ながら未熟なひろゆきは、このアカギの有難い助言が理解できていなかった。
大切な東西戦の幕開けで西の思惑どおり、致命的なミスを犯していく。
そんな不肖の弟子の後を継ぎ、師はきっちりフォローする。
それにしても、5筒が打てないとはいえ、四万の対子落としで聴牌を崩し、ドラへのくっつき聴牌を目指す柔軟な発想はさすが赤木しげるである。
対子落としとはいえ実質暗刻から切っていく打ち筋は、清一色聴牌というあまりにも甘美な誘惑もあり、なかなか見えにくい。
私ならあの場面、五万をツモ切りドラ単騎で聴牌に受ける選択をしただろう。
それを一通まで付け満貫に仕上げたのは、頭の柔らかいアカギの真骨頂といえる。
「5筒はお荷物じゃない。清一色に心が縛られているから5筒が荷物にしか見えない」
この赤木しげるの言葉はひろゆきだけでなく、我々にも多くの示唆を与えている。
人はミスを犯したとき、後悔し冷静さを失っていく。
そして、そのことが呼び水となり、ますます視野が狭くなる。
“平常心”こそ、勝負の分水嶺となるのである。
「ひろ…囚われるな…おまえの麻雀のステップはもっと軽かったはずだ。思いだしな泳ぎを…お前は今、自分の心に溺れている」
この台詞もまた素晴らしい。
単に腐すだけでなく、ひろゆきの長所を認め、それこそが戦いの武器となることを伝えている。
自分の実力を発揮するためには奇をてらうことなく、普段どおりの麻雀を打たなければならない。
大きな勝負ほど、このことが肝心要となる。
そして、「思いだしな泳ぎを…お前は今、自分の心に溺れている」という表現。
赤木しげるらしさ全開ではないか。
頭に血が上り、独り相撲を取るひろゆきの様子はまさに“自分の心に溺れている”。
軽やかなステップ、軽やかな泳ぎ。
それこそがひろゆきの長所だろう。
赤木しげるはまこと師の如く、ひろゆきの良き理解者だ。
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