「トム・ソーヤの冒険」。
私が子ども時代、目を輝かせて読んだ物語である。
特に夏休みになると、トムとハックの冒険譚に胸躍らせたことを思い出す。
それは昭和に少年期を過ごした者ならば、ほとんどの方が同じだったのではなかろうか。
だが、本作は決して男の子だけの物語ではなく、少女にも読んで欲しい名作である。
作者マーク・トウェインはかく語る。
「かつて少年少女であった大人たちにも読んでほしい」
きっと年を重ねた大人たちも、輝ける子ども時代を思い出すに違いない。
トム・ソーヤの冒険とは
「トム・ソーヤの冒険」は当時最も著名な作家で、アーネスト・ヘミングウェイなどにも激賞されたマーク・トウェインが自らの子ども時代をモチーフにした児童文学である。
主人公トム・ソーヤはマーク・トウェイン自身であり、ハックルベリー・フィンは親友をモデルにした。
作者にとって、ミシシッピ川の畔にあるミズーリ州ハンニバルで暮らした少年時代こそ、人生で最も輝いていた季節だった。
その原体験を基に執筆すればこそ、時代を超えて少年たちの冒険心をくすぐり続けるのだろう。
19世紀半ば、まだ馬車が舗装されていない道を行き交い、蒸気船がモクモクと煙を吐きながら大河ミシシッピ川の上を走らせる田舎町。
のどかな日常と豊かな自然に囲まれて、腕白坊主トム・ソーヤが親友ハックルベリー・フィンらと繰り出す冒険の日々。
少年たちが野山を駆け回り家路に就いた後、夕暮れのミシシッピ川を背景に流れるS.フォスターの名曲「懐かしきケンタッキーの我が家」の切ない調べ。
古き良き時代を偲ばせるノスタルジーあふれる物語、それが「トム・ソーヤの冒険」なのである。
心に残る名場面
「トム・ソーヤの冒険」には数々の名場面が登場する。
海賊気取りで向かったジャクソン島での大冒険や、殺人犯インディアン・ジョーを巡るハラハラドキドキ手に汗握るストーリーなど、枚挙に暇がない。
そんな数多の名シーンの中で私が一番印象に残るのは、アニメ版においてハックがトムの女友達ベッキーに語った友情についての話である。
夏休みに入り、トムとハックはなまず釣りに行くことにする。
すると、そこにトムを捜していたベッキーが合流し、一緒に出掛ける運びとなった。
トムとハックはなかなか釣果があがらず、ベッキーは退屈だと言い出した。
そんなベッキーにうんざりしたトムは、彼女から離れた場所に移動する。
お腹の虫が鳴るハックは、ベッキーが持参したサンドイッチやクッキーに舌鼓を打っている。
ベッキーはご馳走を頬張るハックに尋ねた。
「ねえハック。さっき、あなたは『俺はオヤジの働いているところを見たことがない』って言ってたわよね。ハックのお父さんってどんな人なの?どうしてあなたが独りで暮らしてるのか、前から訊こうと思ってたの…」
ぶしつけな質問にも、ハックは全く気にする様子はない。
「オヤジはたいてい酔っぱらってた。そして、働きもせずにいつも大きなことばかり言ってた。たまにシラフのときがあると、訳もなく俺をぶん殴るのさ。酷い男だった…。オヤジと一緒にいるときは地獄だったけど、今は天国さ」
そして、ハックはトムへの感謝を口にする。
「村のお母さんたちはみんな、自分の子どもが俺と遊ぶのを止めてるらしい。だけど、たいていの子どもたちは俺の友達さ。特にトムは俺の親友さ。トムが俺と付き合ってるから、他の連中も親に何と言われようが俺と平気で付き合うようになったのさ。あいつのこと、(大人たちは)手に負えないイタズラ坊主だって言ってるけど、本当は優しい良いやつさ」
ハックの言葉に、ベッキーは改めてトムに惚れ直すのであった。
所感
ハックがベッキーに、自らの身の上とトムへの感謝を語る場面。
何気ないシーンだが、なぜかとても心に残った。
それはきっと、トム・ソーヤとハックルベリー・フィンの関係が、真の親友についての回答を語りかけるからに違いない。
そこには、打算や損得を超越した純粋な友情だけが存在する。
母がいないハックルベリー・フィンは父にも捨てられてしまい、まだ小学生の年齢で独り森の中で暮らしている。
本来ならば、同情されて然るべきところだが、浮浪児になったことで村の大人たちに避けられていた。
「フランダースの犬」に出て来るネロの境遇も同じだが、いつの世も大人というのはクズしかいない。
だが、そんな辛い身の上にもかかわらず、ハックは朗らかに今が天国だと言うのである。
そして、恨んだり僻んだりすることもなく、誰にも迷惑をかけず自給自足で暮らしている。
私は、こんなハックルベリー・フィンが大好きだ。
実は、あらゆる漫画や小説などの登場人物で、このハックルベリー・フィンこそが最も憧れの、そして最も好きな人物なのである。
時間に追われ、ノルマに追われ、あらゆるものに追い立てられる現代のストレス社会とは無縁のハックルベリー・フィンのライフスタイル。
何ものにも縛られない自由な生き方に憧憬を抱くのは、果たして私だけなのか。
そして、素晴らしいのはハックだけではない。
トム・ソーヤもまた心温かきナイスガイである。
どうしても、子どもは親や大人の命令にねじ伏せられてしまう。
だが、トムは勉強だけが得意な賢しら顔の優等生とは一味違う。
“ハックは良いやつだから”という最もシンプルかつ重要な動機で、友達付き合いを続けている。
もし、トムに縁を切られたら、それこそハックは本当に天涯孤独になっていた。
世の中には星の数ほどの友情が存在する。
漫画や小説で描かれた友情の物語はどれも美しい。
しかし、私はトムとハックの友情を超えるものを見たことがない。
初見から数十年の歳月を経た今も、その思いは全く変わることがない。
トム・ソーヤとハックルベリー・フィンの物語を世に出した文豪マーク・トウェインに対し、只ひたすらに尊敬の念を表したい。
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