「図書館の大魔術師 」ガナンの名言 ~親方が示す人生の羅針盤~

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最近読んだ漫画に「図書館の大魔術師」という作品があります。
ひとことで言うと、素晴らしいとしか言えません。

主人公の少年シオ=フミスは混血児で、村人から酷い差別を受けていました。
特に、長い耳が特徴的で“耳長”と揶揄されます。
辛い毎日を送るシオは、中央図書館の司書(カフナ)と出会います。
このことをきっかけに、シオはカフナを目指すようになりました。

そして、カフナを目指すシオに人生の羅針盤を授けてくれたのが、石工の親方ガナン=キアシトです。
一見すると、大酒飲みのべらんめえオヤジといったガナンですが、至高の名言・金言でシオを導いていきました。

ガナンの名言

1. かっこいいは最強の“でっぱり”

ある日、ガナンはカフナを目指すシオに尋ねました。

「どうして、カフナになりたいんだ?」

本に携わる仕事は中央図書館の司書(カフナ)でなくても地方の図書館司書などもあり、どこも人手不足で試験もありません。
そもそも、中央図書館のカフナを目指すのはほとんどが女性であり、大陸中から応募が殺到するため非常に狭き門なのです。
男に生まれ勉強ができるのならば、学者の方がステータスも高くお金にもなります。

シオは照れながら答えます。

「僕…司書の仕事がちゃんと分かっているわけじゃないんだ…将来どういうふうに社会と関わって行くのかも想像できない。ただ、初めて本を貸してくれたカフナが…かっこ良かったから」

シオの言葉を受け、話し出すガナン。

「鳥は何で空を飛ぼうとしたか、知ってるか?ずっと昔は、翼の無い地を走るだけの動物だった。鳥に似たある動物が生まれつき、たまたま手にちょっとした“でっぱり”があったんだ。そして、子どもにも同じようにでっぱりがあった。その一族の手はどんどん大きくなっていく。あるとき、その動物が高い所から落ちそうになると、たまたま大きな手が風を受けて空を飛ぶことができたんだ」

そして、シオに向かって語りかけます。

「たまたまなんだよ。夢や目標があって空を飛んだわけじゃない。いいかシオ…“かっこいい”ていうのはな、最強の“でっぱり”なんだぜ。司書との出会いで生まれた“でっぱり”が、後に世界に羽ばたく大きな翼に姿を変えるかもしれない」

このガナンの言葉に、私は深い感銘を受けました。
とかく何かを目指すには夢や目標がないと、さもいけないかのような態度をとる訳知り顔の大人たちが何と多いことでしょう。
でも、子ども時代に出会ったキラキラした思い出ほど、美しいものはありません。
ましてや、自らの出自や外見により虐げられていたシオを、初めて受け入れてくれた大人がカフナでした。
そんなシオの不遇を知ればこそ、ガナンはシオの動機を肯定するのです。
子どもの可能性を目一杯、後押ししてやるのが大人の役目だと、見識の高いガナンは知っているのでしょう。
ガナンは仕事だけでなく、人生におけるシオの“親方”でもありました。

実は鳥の話をしている最中、ガナンは他にもとても良いことを言っています。
「動物は、神様が初めから今の形に造ったんじゃないの?」と訊かれたときのことでした。

ガナンは静かに言い聞かせます。

「そういう考え方もある。世界にはいろいろな考えがあるが、大切なのは…どれか一つを絶対と決めつけないことだ」

これこそが、巷間よく言われている多様性の源になる考え方ではないでしょうか。
人は、自分が正しいと信じるものを絶対だと考える生き物です。
でも、それは往々にして“思い込み”にすぎません。
見る角度や状況、価値観等により、正しさは変わる場合がほとんどです。
どんなときにも不変なもの、それはきっと真理でしょう。
ですが、真理は滅多に存在しないのです。




2. 嘲笑は偉大な挑戦の始まりの合図

司書試験を目前に控えるシオを見ながら、ガナンは思い出していました。
それは、シオがガナンのもとで働き始めたときのことです。

シオを連れた知り合いの女性が、ガナンに司書になる方法を尋ねました。
ガナンはシオが司書を目指していることを知り、大笑いを始めます。

「司書(カフナ)だと!?ハーッハッハー!!カフナってのは“都会の”“金持ちの女”がなる仕事なんだよ!一つも当てはまってねーじゃねーか!!」

女性はガナンを窘めました。

「そんなに笑ったら可哀想ですよ…」

すると、ガナンは雰囲気を一変させ言い切ります。

「可哀想?違うな。嘲笑は偉大な挑戦の始まりの合図なんだぜ!笑われもしねぇ挑戦なんてのは、俺に言わせりゃロマンが足りねぇ」

そして、シオに真剣な眼差しを送り、言葉を継ぎます。

「カフナになんて、なれるわけがねぇ。まともな大人なら、間違いなくそう言うだろう。だが、見ての通り俺はまともな大人じゃない。“うるせぇ!カフナに俺はなる!”そう思うならついて来な」

そう言うと、シオを自らの石工で雇い、カフナへの道も示します。
シオはその日から、朝は学校に行き、昼は肉体労働でヘトヘトになるまで働き、夜は勉強に励むという生活を7年間休まず全うしたのです。

ではなぜ、ガナンは勉強一筋ではなく、日中シオを働かせたのでしょうか。
それには、彼なりの深い理由がありました。

「正攻法で勉強しても、都会の金持ちには歯が立たない。ならば、徹底的に体を鍛えて勉強の効率を上げる」

ガナンは見抜いていたのです。
シオと都会の金持ちでは、環境が全く違うことを。
大きな街には専門の塾があり、金持ちならば通えます。
もし、シオに勝ち目があるとしたら、厳しい環境に身を置いて肉体を鍛えるしかないと。

ガナンは自らの経験を踏まえ、言いました。

「受験生でお前より体が強い奴は誰もいないだろう。賢い学者は精神が肉体を統制していると考えているが、俺に言わせりゃ脳はどこまでいっても筋肉の奴隷だ。体が疲れりゃ脳も怠ける。勝機があるとすれば…そこだろうな」

ガナンはなおも続けます。

「これは試験だけの話をしてるんじゃねーぞ。いずれ分かるから覚えとけ。最後に先頭に立っているのは体力のある奴だと。シオ…お前はぶっちぎりの最下位からのスタートだ。だが、前にいる奴全員を追い抜く快感は、最後尾にしか味わえない特権だ。物語っていうのは、そうじゃなきゃ面白くねぇよな?」

これら一連のガナンの言葉は、シオの胸に響きます。
いや、シオならずとも、これほどの金言なら身に沁みることでしょう。

「嘲笑は偉大な挑戦の始まりの合図なんだぜ!」というガナンの台詞。
それは、なんと素晴らしい言葉でしょう。
世間は見慣れぬ者や初めての挑戦には、訝しがったり嘲笑を浮かべたりするのが世の常です。
ですが、先駆者や最初の道を通る者がいてこそ、世の中は発展していきます。
つまり、嘲笑を恐れては何もできないことをガナンはシオに伝えているのです。

私はガナンの箴言に、麻雀漫画「アカギ」の主人公・赤木しげるの晩年の言葉を想起します。
赤木しげるには弟子のように目をかける、ひろゆきという若者がいました。
ひろゆきは、傷つくことを極端に恐れていました。
そんなひろゆきに、赤木しげるは語りかけます。

「だけど、傷つくことはそんなに悪いかな?思うようにならず、イラつくことは悪くない!俺はいつもそう考えてきた…。痛みを受ければ、てめえが生きていることを実感できるし、何より『傷つき』は奇跡の素、最初の一歩となる。大抵の奇跡、偉業は初めにまず傷つき、そのコンプレックスを抱えた者が通常では考えられないくらいの集中力や持続力を発揮して成し遂げるものだ。つまり、天才といわれる連中の正体は…みなその類の異常者!さらりと生きていない…!」

前人未到の偉大な一歩は、嘲笑され傷つくことから始まります。
笑われもしない挑戦など、大したことはないとガナンは言っています。
傷つきバカにされ、そのコンプレックスをバネにやり遂げるのが偉業だと赤木しげるは言うのです。
私には二人の言わんとすることは同じに聞こえるのですが、どうでしょうか。
事実、シオも膨大な時間と労力をカフナになることにかけ、諦め悪く尋常でないほどに頑張り抜きました。

体力と脳に関するガナンの知見も、たしかにと!思わず膝を叩きます。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉がありますが、脳もまた同じことなのは納得です。

そして、「シオ…お前はぶっちぎりの最下位からのスタートだ。だが、前にいる奴全員を追い抜く快感は、最後尾にしか味わえない特権だ。物語っていうのは、そうじゃなきゃ面白くねぇよな?」というガナン節。
このシーンもまた、彼の粋でいなせな人柄をよく表していると感じます。
こんなエールを送られたら、シオも勇気とヤル気がみなぎるに違いありません。

まとめ

シオはガナンに出会うまで、物語に登場する人々が嬉しいとなぜ泣くのか理解できませんでした。
涙は、辛く悲しいときに流すものなのに…。

ガナン親方や石工の労働者たちは一生懸命やれば、耳が長くても混血児でも差別することなく仲間として受け入れてくれる、そんな心ある人たちでした。
彼らのやさしさ、あたたかさにシオの目からとめどなく涙がこぼれます。
そして、知りました。
どうして、嬉しいと涙が出るのかを。

人は決して一人では生きられない。
人は人と出会うために生まれ、人との出会いが人生を変えていく。
そんな理をシオに教えてくれた恩師こそ、ガナン=キアシトだったのです。


図書館の大魔術師(1) (アフタヌーンコミックス)

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