戦争。
それは数多の人々の命や日常を奪い去る、人類最悪の愚行である。
しかし、それはまた人の世が続く限り、決してなくなることはないだろう。
「かつて神だった獣たちへ」という漫画は、まさにその戦争をテーマにした物語である。
より正確に言うならば、戦時中ではなく戦争終結後にスポットを当てている。
祖国のため、大切な人を守るため、人間の姿を捨て異形の擬神兵へと身を投じた者たち。
彼らは人ならざる力をもって、戦乱の世を平和へと導いた。
そんな彼らの未来に待っていたものとは…。
行き場のない魂の慟哭が聞こえて来る。
ストーリー
かつて、その国では国土を南北に分けた内戦が繰り広げられていた。
劣勢を強いられていた北軍は禁忌の技で擬神兵をつくり上げ、やがて終戦が訪れる。
だが、かつて神と称えられた彼らは内戦が終わりを告げ、時を経た今、“獣”と呼ばれるようになっていた。
民に崇め奉られた英雄も戦争が終われば、その強大な力は人々にとって恐怖の対象でしかない。
その少女シャールの父も擬神兵となり、帰還兵として戻ってきたが、“獣狩り”と呼ばれるハンクに殺された。
父の仇打ちに向かったシャールはハンクを探し出し、命を狙うも未遂に終わる。
それどころか、逆に擬神兵の襲撃から助けられ、次第にハンクの悲しみを理解するようになっていく。
そして、「父が“獣狩り”に殺されるべきだったか否か」を確かめるため、ハンクとともに旅に出た。
かつて神だった獣たちへ(10) (週刊少年マガジンコミックス)
同行者ふたり
シャールは、父とともに孤児院を切り盛りしていた。
経営が逼迫する孤児院を救うため、シャールの父は擬神兵に志願し、巨大なドラゴンの姿となり戦場へ赴いた。
戦争が終わり、シャールの下へ帰還したものの旺盛な食欲を抑えきれず、村の家畜にまで手を出すようになる。
そんな今や“獣”に成り下がったドラゴンを退治に来たのが、“獣狩り”と呼ばれるハンク・ヘンリエットだった。
「心無くした者は仲間の手で葬る」という部隊の約束に従い、終戦後、社会に徒なす擬神兵たちを葬っていたのである。
実は、ハンクは元擬神兵部隊の隊長であり、つまりシャールの父はかつての部下になる。
そして、シャールの父も他の戦友同様ハンクに殺された。
シャールは父の形見の象撃ち銃とともに誓う。
必ずや、父の仇を取るのだと…。
そして、ついにハンクを探し当て象撃ち銃で射撃するも、本懐を遂げることはできなかった。
自分の命を狙うシャールに対し、全く敵意を見せないハンク。
そして、「心無くした」かつての部下たちを抹殺しながらも、言い知れぬ悲しみを湛える“獣狩り”に、シャールの気持ちは徐々に変化していった。
こうして、ふたりは恩讐を越え、同行者として旅に出た。
悲しき擬神兵たち
本作に登場する擬神兵たち。
個人的に、心に残った悲しき物語を紹介する。
1.“スプリガン”ダニーの物語
シャールがハンクを探し当てた町にいた擬神兵、それがダニーである。
ダニーは積み荷を乗せた馬車を襲い、金品の強奪を繰り返す。
異形の姿になったダニーは故郷の人々に受け入れてもらうため、どんなことでもするようになっていた。
元々、ダニーは心優しい男だった。
「僕の町はとても貧しい。でも、僕が戦えば、町のみんなは楽な暮らしができる…それが、嬉しい」
ハンクにそう語るダニーは、穏やかな笑みを浮かべていた。
懐かしい戦場での記憶を胸に秘め、ハンクは“獣”ダニーを斃す。
死の間際、ダニーはかつての上官に尋ねた。
「隊長…僕は…どうやって生きていけば良かったんですか…生きて帰ってくるべきじゃなかったんですか?あの戦場で…あの地獄で…生きるために、この姿になって…敵も仲間も、みんな平和を…家族を想って死んでいった。戦争が終わって、僕を待っていたのは…人殺しだ!怪物だ!という冷たい視線だけだった。僕は…僕たちは…あの戦場で英雄として死ぬべきだったんですか?」
「ダニー…すまない」
ハンクは歯を食いしばりながら、“獣狩り”の使命を全うするため止めを刺す。
ダニーの亡骸に母親が駆け寄った。
すると、ハンクは彼女に心から言った。
「今までダニーを見ていてくれて…ありがとう」
その言葉を聞いたシャールは、ハンクへの認識を改めた。
だが、どうしても問わずにはいられない。
「そうやって、父も殺したんですか。生きていたいと願っていたのに…どうして?もう戦争は終わったのに…!」
「終わっちゃいないんだよ…何も…俺たちは終わることができなかったんだ」
ハンクの言葉は、月夜に悲しく響くのだった。
2.“巨獣ベヒモス”アーティの願い
戦争終了後、“擬神兵”アーティは東へ進み続けていた。
彼の進路は砂漠と荒野のみであり、人に害をなすことはなかった。
だが、このまま進むと鉄橋があり、甚大な被害は避けられない。
その鉄道は街の人々の大切な日常を支える、なくてはならないライフラインなのである。
行く手を阻むべく軍隊が出動するが、アーティは銃撃はおろか大砲の攻撃を受けても、びくともしない。
全長50mの巨躯に加え、傷を負うごとにその箇所が再生し、より頑強になっていくのである。
そこに颯爽と現れたハンク。
アーティの膝の関節を一瞬で破壊し、足止めに成功する。
何とか捕縛するが、足が治るまでの時間稼ぎにすぎない。
前述したように、アーティに致命傷を与えることは、ほぼ不可能だった。
だが、アーティが向かう先には谷があり、周りの崖をダイナマイトで爆破し埋めてしまえば、進路を変更するか引き返すしかない。
ところが、いきり立つ鉄道会社社長が間隙を縫って、アーティを爆薬で殺そうと試みる。
しかし、その程度で仕留めることなど出来はしない。
猛り狂うアーティは進撃を開始する。
止めに向かうハンクに、シャールは言った。
「どうしても戦わなくちゃいけないんですか?あの人は今までずっと、人間のいるところは避けてきた。まだ、人の心が残っているんですよ!」
「心があろうが無かろうが、このまま進めば鉄橋は破壊される。あの鉄橋は…俺たちが人の身を捨ててまで望んだ、今の平和な時代を支えているんだ。それを俺たち擬神兵が…過去の存在が壊してしまうことは許されない」
そう言い残し、ハンクは谷に向かった。
そして、アーティの前に立ちはだかる。
「お前は、なぜ進む!この先には何も無い!命令だ!お前に心が残っているなら…ここから動くな!」
しかし、アーティは首を振ると、再び前進を始めた。
仕方なく、ハンクは合図する。
事前に崖に埋め込んだダイナマイトを爆破するよう、指示を出したのだ。
だが、準備の途中だったため十分な量には程遠く、アーティを土砂で一時的に生き埋めにするのが関の山である。
アーティが這い上がろうとした瞬間、どてっ腹に風穴が開いた!
アーティを生き埋めにした場所に、ダイナマイトが仕掛けられていたのである。
いかに強靭な防御力を誇るアーティも日頃攻撃に晒されない腹の耐久力は弱く、しかも逃げ場を失った爆発の威力は何倍にもなるのだ。
内臓が破壊され、瀕死の重傷を負うアーティ。
ところが、彼の進撃は止まらない。
鉄橋は、もう目の前だ!
もはやこれまでかと誰もが諦めたとき、アーティは歩みを止める。
その刹那、朝日が昇りアーティを照らす。
すると、満足そうな表情でアーティは事切れた。
朝日に浮かぶもの…。
それは一面に広がる海だった。
軍隊時代、アーティは命令に忠実で、感情的になることもない物静かな男だった。
そんなアーティは、かつて一度だけ「海を見てみたい」と語っていた。
その願いを叶えるため、歩み続けたアーティ。
人生の終着駅で、憧れの海を一目見て旅立った。
まとめ
この作品を読み、私はベトナム戦争から帰還したアメリカ兵を思い出す。
彼らは肉体的なダメージもさることながら、PTSDなどの生涯拭えぬ精神的なトラウマを負い、様々な形で後遺症が顕在化した。
祖国のために命を懸けて戦地に赴き、殺戮と狂気が支配する戦禍を生き延び、それほどまでの苦しみを抱えながら復員した彼らに待っていたもの…。
それは世間から向けられる冷たい眼差しや、泥沼化した戦争の鬱憤を晴らすため罵詈雑言を浴びせかける国民からの差別だった。
これは、まさしく擬神兵となった作中の兵士たちと同じではないか。
いや、そもそもがベトナム戦争だけに限らず、戦争には少なからずつきまとう問題なのだろう。
戦争がもたらす痛みや傷は戦時下だけでなく、戦火が消えた後も人々の中で疼き続ける。
そんな現実を「かつて神だった獣たちへ」は我々に訴えかけているようだった。
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