浦部の剛腕の前に、戦意喪失するニセアカギ。
その姿を見た組長は見切りをつけ、アカギをピンチヒッターとして呼ぶよう配下の者に指示を出す。
だが、なぜかアカギは治に打たすよう進言する。
それどころか、治が打った後でなければ、自分は打たないと言い出す始末である。
ところが、周囲の心配をよそに、ニセアカギの代打ちとして入った治は順調にあがり続けた。
元々、大差をつけられていたこともあり、気楽に打つことができたからだ。
だが、ギャラリーのひとりがポロっと3200万円のレートであることを漏らしてしまう。
それを聞き、治は途端に平常心を失った。
焦った仕掛けをした挙句、不要牌を浦部に狙い打たれてしまう。
誰もが治はここまでと思った瞬間、あの男が現れた…。
責任の重み
「代わろうか?治…」
そう言うと、アカギは卓につく。
すでに東場は終わり、残すは南場のみである。
しかも、浦部との点差は28400点もある。
その状況に、治は心配そうに尋ねた。
「大丈夫なんですか?赤木さん…この勝負、3200万もかかっているんですよ!南場から入って3万点近く離されて、絶対勝つなんて保証…」
思わず笑いだすアカギ。
「ハハハ。ばかだな…おまえ。そんなこと考えていたのか?相変わらず、ズレた心配をしてやがんな…」
アカギは言う。
「失うのはオレたちじゃないんだから、気楽に打ちゃあいい。オレは毛ほども責任なんて感じてない。今、顔を青くしなくちゃいけないのは、後ろで見てるヤーさんだろ。
そして、もうひとり…浦部だ…!」
意外な言葉に、治は訊き返す。
「しかし、浦部は3万点近くリードしていて、楽勝って状況じゃないですか?」
「ククク…その感想はこっちの思い込みさ。浦部自身はそう感じてはいないはず…」
浦部の心を抉るように、赤木しげるは言葉を継ぐ。
「この勝負…誰が一番負けることができないか?いうまでもなく、それは浦部だ。このバカげたレートまで上げた張本人…当然、責任は生まれる。3200万負けましたでは済まされない。今、奴が感じている負けられないという圧力は強烈なはず…!」
あれほど劣勢だった場の空気の中、赤木しげるは不敵な笑みを浮かべていた…。
所感
この話を読んだとき、私は目からウロコが落ちる思いがした。
きっと私だけでなく、その場にいた全ての者がそう感じたことだろう。
人は苦境に立たされると、自分の置かれた状況のみに目が行きがちだ。
つまり、己の心にしか目が届かない。
だから、苦しいのは自分だけだと思い込んでしまう。
だが、赤木しげるは俯瞰して物事を判断する。
だからこそ、浦部の心理を手に取るように把握できるのだ。
そうは言っても、3200万(現在の約3億)もの大金がかかる場面、しかも南場しか残されていない状況で冷静に相手の心理を推し量ることなど、赤木しげる以外に誰ができようか。
事実、修羅場を潜ったはずのヤクザですら、誰に一番負荷がかかっていたか見落としていた。
たしかに、勝負事は己を知ることが最も肝要だ。
だが、対戦相手の心理状態を見失っては、勝てる戦も勝てないだろう。
私は、この赤木しげるの言葉を聞いて思い出す。
元ヘビー級王者マイク・タイソンを育てた“伝説のトレーナー”カス・ダマトの箴言を。
ダマトは試合前、愛弟子達にこう言った。
「リングは死ぬほど怖い。ただし…それはどのボクサーも同じだ!」
試合が近づくと、どんなボクサーも恐怖に襲われる。
あのマイク・タイソンでさえも例外ではない。
そんなとき、「恐れるな!」と檄を飛ばしても意味がない。
代わりに、ダマトは「恐怖は自分だけでなく、対戦相手も支配する」という真実を伝えるのである。
赤木しげるの“神域の闘牌”を可能たらしめるのは、なにも博才のみではない。
こうした、怜悧冷徹な頭脳と精神があってこそ、卓上に常識を超えた一打を放つのだろう。
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