戸部けいこ作「光とともに…」は、自閉症をテーマにした作品である。
ダウン症児の実際を描いた「のんちゃんの手のひら」と共に、数少ない障害児を扱った漫画といえるだろう。
また、2004年には「文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞」に輝き、ドラマ化もされた。
そんな心に残る名作を紹介する。
ストーリー
東光(あずまひかる)は燦々と降り注ぐ朝日に祝福されながら、この世に生を受けた。
そのことにちなみ、“光”と名づけられる。
ところが、その後自閉症と診断されてしまう。
自閉症特有の強いこだわりに加え、他者とのコミュニケーションも上手くとれず、周囲となかなか打ち解けることができない。
一例を挙げると、体を抱きしめられたり、騒音にさらされたりすると、パニックを起こし泣きじゃくってしまう。
他方、キラキラと光る綺麗な物や高い所は大好きだ。
そんな我が子を目に入れても痛くないほど愛している両親だが、苦労の絶えない毎日を送っている。
だが、保育園や学校の先生、そして友達や周囲の理解にも支えられ、かけがえのない時間を我が子とともに生きるのであった。
真摯な作品作り
物語を読めば分かるのだが、まるで作者自身が自閉症児の子育て経験者であるような、リアリティあふれる作品に仕上がっている。
これは、現場や当時者への綿密な取材のなせる業だという。
この辺にも、作者の作品に対する真摯な取り組みが垣間見える。
また、本編の欄外にも相談窓口の情報や自閉症児との接し方を掲載するなど、積極的に読者への情報提供を図っている。
同じ境遇の人に役立ててもらえれば…。
そうした作者の誠実さの表れではないだろうか。
そして、少しずつ、ちょっとずつでもいいので健常者と障害者の垣根が取り払われ、共に暮らしていければという願いも伝わってくる。
親という難しい役割
ある意味、親ほど難しい役割はないのではないか。
昔、「親業訓練講座」というものを知る機会があった。
親は子を産み、躾をし、一人前になるまで育てていく。
しかし、親の役割や心得などは、国語や算数のように学校や塾、その他の訓練所でも教えてもらえない。
つまり、これほどの重責にもかかわらず、他の職種や役割のように適切な訓練が施されないまま、子どもと向き合わなければならないのである。
しかも、より複雑にするのは、同じ我が子でも一人ひとりの性格や嗜好などは千差万別で、たとえ類似性は見られても完全に同じことはありえない。
そんな中で、是非分別のつかない子どもを、一人前の大人に育てなければならないのだ。
このように、ただでさえ大変な子育てにあって、自閉症などの障害を持つ子を育てることは筆舌に尽くし難いに違いない。
子どもとコミュニケーションをとることさえ難しいというのに、そこに輪をかけて心を蝕む周囲の無理解や偏見…。
差別は無知から始まるとは、よく言ったものである。
しかし、作中に出てくる家族、とりわけ母親を見るにつけ、私は思うのだ。
「無念が願いを光らせる」と。
これは漫画「アカギ~闇に降り立った天才~」の主人公、赤木しげるの口から紡がれた言葉である。
博打の業火に焼かれながら、痺れるような鉄火場で“神域の闘牌”を繰り広げた男には、あまりにも似つかわしくないセリフだろう。
だが、赤木しげるは語る。
「人生は上手くいかないことばかり。日々、不条理なことが起こり、ときには目を覆いたくなるような理不尽にも見舞われる。だが、そうした上手くいかないこと、無念が多いほど願いはより光るのだ」
翻って、主人公の両親は喜びよりも、圧倒的に苦労やトラブルに追われている。
しかし、初めて「ママ」と呼んでくれたあの瞬間や、今まで出来なかったことが一人でできるようになった我が子の成長。
こうした、ほんのわずかな希望の灯が心を明るく照らし、明日への活力となっていく。
そんな家族の肖像こそ、真の幸せのカタチなのかもしれない。
まとめ
連載中、病により逝去した作者・戸部けいこ。
病床に伏しながらも最期まで物語を紡ぎ出し、未完とはいえ命のネームを置き土産にする。
その遺志を継ぎ、親交のあった河崎芽衣が書きかけの遺稿にペンを入れ、最終巻を完成させた。
戸部けいこ氏の本作への想い、そして、命を懸けた漫画家魂に敬意を表さずにはいられない。
もちろん、未完になるはずの名作を、完結させてくれた河崎芽衣氏にも感謝したい。
病や障害を望んで、生まれてくる人はいないだろう。
だが、不幸にもそれを防ぐことはできない。
ならば少しでも、健常者だけでなく障害を持つ人にも、暮らしやすい世の中になって欲しい。
誰もがひとりの人間として、その人らしい生を全うする。
本作品には、そんなヒントが散りばめられている。
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