本作は一見すると、少し前に流行ったケータイ小説のようにも感じる。
それは、ヒロインが不治の病に侵され、志半ばで旅立っていくという設定だからだろう。
だが、「四月は君の嘘」という物語はそこに音楽という要素を盛り込むことにより、登場人物の背景に深い陰影をもたらしている。
その象徴ともいえるヒロイン宮園かをりの切なくも儚い人生。
しかし、登場人物達が音楽を通して“自分という宇宙”を赤裸々なまでに表現し、観客の心を掴んでいく。
それは、あたかも我々読者にまで、その場にいるような感動の嵐が降り注ぐ。
そんな心の琴線に触れる珠玉のストーリーが「四月は君の嘘」なのである。
ストーリー
天才ピアニスト有馬公生は11歳のとき、ピアノが弾けなくなった。
スパルタ指導をしてきた母の死がきっかけとなり、自らのピアノの音が聞こえなくなったのだ。
それ以来、彼の目には全ての景色がモノトーンに映り、鉛色の日々を過ごしていた。
中学3年生になったばかりの4月、公生はひとりの少女と出会う。
彼女は底抜けに明るい、自由奔放なヴァイオリニスト宮園かをりであった。
彼女のヴァイオリンの調べは楽譜などお構いなしで独創性にあふれ、どこまでもカラフルな空気感に包まれていた。
母親の影響から“譜面の下僕”と揶揄された有馬公生とは対照的な演奏。
しかし、その色鮮やかな音色が、かつて天才と呼ばれた少年に音楽への情熱を呼び戻す。
そんな中、かをりは出演予定だったガラコンサートの直前で倒れた…。
作品の魅力
みずみずしい登場人物
幼き日、有馬公生という天才少年のピアノを聞き、人生の指針が決まったライバル達。
そのふたりとは、井川絵見と相座武士である。
むらっけの多い井川絵見は、その日の気分で旋律がガラリと変化する。
そして、何よりも有馬公生の存在が彼女の音楽家魂に火をつける。
井川絵見に負けず劣らず、公生に対し強烈なライバル意識を剥き出しにするのが相座武士である。
子ども時代は悪ガキで負けん気の強い彼は、その風貌に反して作曲家の意図を忠実に再現する堅実な演奏を特徴とする。
また、妹の凪も公生の影響を受け、ピアニストとして一段階上のステージへと上った。
幼馴染の渡と椿の存在も、本作には欠かせない。
女子にモテモテで、女好きの渡だが、心根のやさしいナイスガイである。
子どもの頃から男勝りの椿は、どんな時にも公生の傍らに寄り添っていた。
一時は、中学の先輩に憧れを抱くが、やがて公生への想いに気付く。
だが、かをりに惹かれる公生に複雑な思いを抱き苦悩する。
とかく恋愛が絡むと、ときに人の心は醜くなり暗黒面に堕ちていく。
だが、渡と椿は、決して卑怯なことには手を染めない。
どこまでも爽やかな青春群像として描かれるのも「四月は君の嘘」の魅力である。
演奏の臨場感
多くのレビューにも書かれているのが、演奏描写の秀逸さである。
若き演奏家たちが、自らの才能とあふれ出す想いをぶつけ、楽曲に魂を乗せていく。
まさしく、一人ひとりの人生の陰影が凝縮されているようだ。
だからだろうか。
音が出ないはずのマンガという媒体にもかかわらず、まるで音が聴こえてくるように感じる。
気が付くと、観客のひとりとして演奏に引き込まれ、圧巻のパフォーマンスに心躍らせているのである。
命の輝き
命とは、いったい何なのだろう。
しかるに、それは輝きではないか。
若くして宮園かをりは、命の限界を突き付けられる。
だが、憧れの公生とのアンサブルを実現し、小手先のテクニックを超越した観る者全ての魂を揺さぶる演奏を全うした。
あの瞬間、まさしく宮園かをりは全力で命を燃焼させ、輝かせていた。
そして、それは公生も同じである。
母の死を契機とする呪縛により、全ての景色がモノトーンに色褪せ、くすぶり続けた音楽家としての魂。
そして、いつしか演奏中に、ピアノの音が全く聞こえなくなってしまう。
だが、かをりの生きる喜びに満ちあふれたヴァイオリンの音色に、暗い海の底に沈んでいたはずの情熱が甦る。
それは、かつてヒューマンメトロノームと揶揄された無機質な演奏とは真逆の、聴衆の心をカラフルに色づかせるものだった。
そして、このアンサンブルをきっかけに、天才ピアニスト有馬公生の音楽家としての第2章が幕を開ける。
私はこのシーンを見るにつけ、マスターキートンの「喜びの壁」という物語を思い出す。
作中に登場する導師ライアンはかく語る。
「人間は一人ひとりが孤島である。人間は一生、自分という宇宙を出られはしない」
真理だと思う。
だが、これには例外がある。
それは言葉にできないほどの感動に遭遇したとき、人は自分という宇宙を抜け出して、同じことを感じることができるのだ。
「四月は君の嘘」という作品にも、この奇跡の瞬間が幾度となく訪れる。
なぜならば、“音楽は言葉を超える”からである。
言葉を超えるもの、言葉で表現できないものが芸術であり、人は本物の芸術に触れたとき、奇跡の瞬間を体験し“自分という宇宙”を抜け出すことができるのだ。
そして、最初に奇跡の瞬間が描かれたのが、宮園かをりと有馬公生のアンサンブルだったといえるだろう。
しかし、ふたりの演奏は、生涯でこの1度きりだった。
てっきり、私は何度も実現していたと錯覚していたため、驚きを隠せない。
それは演奏を交わさずとも、ふたりの心が通じ合い、深い絆で結ばれていたからだ。
なに気ない日常の一コマでも心と心を重ね合わせていたからこそ、それがアンサンブルの疑似体験のように感じ、何度も行われていたように思い込んでいたのかもしれない。
そして、ふたりのアンサンブルは単なる合奏に収まらない、お互いの全てをさらけ出す魂の共鳴であった。
ふたりの演奏が誰よりも濃密な時を刻んでいたことが、その証左だろう。
だからこそ、いつまでも二人の競演が強烈なインパクトを残し続けたように思う。
有馬公生と宮園かをり。
ふたりの姿に、ふと思う。
生きるとは、それ即ち想いなのだと。
生者必滅 会者定離
この言葉は仏教用語であり、この世の真理を説く箴言である。
意味は「生きとし生ける者は必ず滅びゆく。そして、この世で出会った者には必ず別れが訪れる」というものである。
だからこそ、一期一会の気持ちを忘れずに、一瞬一瞬を大切にしなければならない。
有馬公生と宮園かをりの物語を見て感じたのは、たとえ限りある短い時間でも、数十年という時の刻みにも負けない宝物のような関係になりえるということだ。
普段はお転婆でポジティブな宮園かをり。
だが、死の影がチラつくたび、怯え、悲しみ、沈んでいく。
そんなかをりに言葉ではなく、自らのピアノで語りかけ励ます公生。
出会ったときの関係が、いつしか逆転しているではないか。
一度は、公生との共演という夢が叶い、死を受け入れたかをりだが、公生のエールに再起を目指し手術を受けることを決意する。
だが、夢は一度しか叶わぬものなのか。
二度と、かをりは目を覚ますことは無かった…。
しかし、死の瞬間、コンクールで演奏中の公生のもとに、ヴァイオリンを持ったかをりが現れる。
それは、あのアンサンブルで演奏した、かをりの姿であった。
きっと最後に、最愛の公生に別れを告げに来たのだろう。
花びらが散るように去り行くかをりの目から一条の涙がこぼれ落ちる。
そのとき、公生はかをりの死を確信した。
かをりの涙の意味とは、何だったのだろうか。
二度と公生と逢うことが叶わぬ悲しみ、この世への未練…。
公生は演奏中、これまで出会った全ての人々に感謝の想いを込め、ピアノを奏でていた。
とりわけ手術中のかをりに、その想いを届けたいと願っていた。
その旋律はこう囁く。
「この想い。君に届くかな…届くといいな」
会場の全ての人々に痛いほど伝わった。
きっと、かをりにも届いたはずだ。
あの涙の理由。
それは、公生と出会えた喜び、そして最期に想いを届けてくれたことへの感謝だったのかもしれない。
最終話で明かされる、宮園かをりの四月の嘘。
5歳のとき、初めて見た有馬公生の演奏。
それ以来、憧れの存在になったこと。
いつの日か一緒に演奏するため、ピアノを辞めヴァイオリンを弾くようになったこと。
中学に行くと君がいて、嬉しくて舞い上がったこと。
自分の余命を知り、悔いを残さないよう走り出したこと。
3年生に進級した四月、君の親友の渡君が好きだと言ったこと。
実は、それは嘘だったこと。
なぜならば、憧れの君に少しでも近づきたかったから…。
渡君には謝っておいて欲しい。
でも、その嘘が…私の前に君を連れてきてくれました。
そして、やっぱり…君でよかった。
君が好きです。好きです。
ありがとう。
まとめ
東日本ピアノコンクールで公生のライバル・井川絵見と相座武士の両名は、観客を魅了する会心の演奏を披露する。
そして、ふたりは並んで有馬公生のピアノに聴き入った。
その音色はあまりに豊かで、色とりどりに煌めいている。
まるで、有馬公生の心象風景を映し出しているようではないか。
その姿を目に焼き付けながら、感涙にむせぶ井川絵見は呟いた。
「私達は旅をするんだね…あいつの背中を追い続けて…これまでもこれからも」
「ああ…きっと、素晴らしい旅になるよ」
相座武士は頷いた。
演奏を終え滂沱の涙を流す公生を、感無量の面持ちで見つめるライバル達。
その場面はとても感動的で、ふたりの気持ちが伝わってくるようだ。
そして、なんといっても宮園かをりである。
病魔に打ち勝つことは叶わなかったが、手術を決意した宮園かをりの命懸けの勇気。
たしかに、宮園かをりの命は短くも儚く散った。
しかし、挑戦を止めない魂と最期まで困難に立ち向かう生き様は、きっと有馬公生の心の中で生き続けるだろう。
そして、私は思わずにはいられない。
どう生きるかとは、どう死ぬかだと。
不朽の名作「四月は君の嘘」。
この物語は若者のみずみずしい感性、そして10代の真っ直ぐな生き方を鮮やかに描き切った。
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