博打に己の人生を賭けた男の物語『カイジ』をはじめとする、ギャンブル漫画の第一人者といえば福本伸行である。
一部のマニアからは絶大な支持を受け、博打という業火に焼かれるギャンブラー達の恐れや葛藤、慢心等、人間の弱さに起因する心の揺れを描かせたら当代随一といえるだろう。
その心理描写の巧みさは他の追随を許さない。
福本ワールドで展開する力作揃いの作品にあって、とりわけ読者を惹きつけて止まないのが、麻雀漫画『アカギ~闇に降り立った天才~』と『天 天和通りの快男児』である。
福本漫画の代名詞「ざわ…ざわ…」というフレーズを目にした方も多いだろう。
その作中に登場し、奇跡の闘牌で伝説を築いたのが“神域の男”赤木しげるなのである。
およそ、我々凡夫では計りきれぬ天才を、数々の名言から紐解いていく。
ストーリー
ときは、昭和33年。
未だ戦後の猥雑さを引きずっていた。
ある嵐の夜、裏社界の魑魅魍魎が集う雀荘に、一人の少年が現れた。
13歳という年齢に似合わぬ白髪は、否が応でもそれまでの人生の過酷さを想像させずにはいられない。
そして、およそ中学生とは思えぬ揺れない心と狂気をはらんだ精神で、ヤクザの仕切る鉄火場を支配していった。
その少年の名を赤木しげるという。
後に“神域の男”の名をほしいままにし、裏社界を震撼させた天才が闇に降り立った瞬間であった。
赤木しげるとは
赤木しげるとは、『アカギ~闇に降り立った天才~』の主人公である。
元々は『天 天和通りの快男児』に出てくる登場人物であったが、そのカリスマ性と圧倒的な存在感で主人公を凌駕するほどの人気を呼んだため、スピンオフとして若き赤木しげるを描いた作品が『アカギ』なのだ。
『アカギ』に初めて登場したのが13歳の時である。
ところが、赤木しげるの“全く死を恐れない”異端ともいえる精神性と狂気の闘牌に、修羅場を掻い潜って来たはずの裏社会の住人達が成す術もなく翻弄されていく。
赤木しげるが、我々をここまで魅了するのはなぜだろう。
もちろん、常識を超えた闘牌や麻雀の強さは言わずもがなである。
だが、それだけではない。
その最大の理由は、澄み切った混じりっけ無しの魂に由来する。
“己の矜持と信念に殉じる”ことのできる揺れない心。
そして、“死を恐れぬ魂”という、我々凡人では決して到達することのできぬ境地。
博打の深淵で誰よりも濃密な“今”に身をゆだねながら、純度100%ともいえる生き様を貫く姿には、憧憬を抱かずにはいられない。
そして、赤木しげるの口から紡がれる数え切れぬ程の箴言。
それは、我々凡夫の心を捉えて離さない。
その異端ぶりに反して、彼の言葉はまるで、森羅万象の理を知り尽くした導師のようでもある。
只のピカレスクロマンでは収まらない、未曾有の容量と磁場を持つ希代の天才こそ、赤木しげるなのである。
“死ねば助かるのに”
その夜、男は欲していた。
この澱んだ空気を一変させるきっかけを。
その男・南郷の人生は、何をやっても上手くいかなかった。
株を始めれば負債を負い、ギャンブルに手を出せば借金にまみれた。
そして、今夜、借金の棒引きをかけて麻雀に挑むも、劣勢を強いられ思うにまかせない。
負ければ多額の借金を、自らの生命保険で支払わなければならないのだ。
この半荘でラスを引いたら一巻の終わりという状況で、何とかギリギリ3着で踏みとどまっている。
しかし、流れは一向に良くならず、このままではジリ貧になることは目に見えていた。
すると、そこに雨でずぶ濡れになった一人の少年が現れる。
その少年こそ、赤木しげるであった。
赤木しげるの登場で場の空気が変わり、オーラス、南郷に起死回生の逆転手が入る。
五筒を切れば高目ハネマンの12,000点、二筒を切れば待ちが半分になり点数も格安になってしまう。
通常ならば、誰しもが五筒を切るに違いない。
しかし、折悪く対面からリーチが入っていた。
しかも、二筒がリーチの安全牌であるため、南郷は悩んでいるのである。
それはそうだろう。
なにしろ五筒はリーチの危険牌であり、振り込んだ瞬間、麻雀のみならず人生が終了するのだから…。
南郷ならずとも、安全という誘惑に駆られるに違いない。
長考の末、二筒に手を掛ける南郷。
その牌を切ろうとする刹那、背中越しに言葉が聞こえて来た。
「死ねば助かるのに…」
それは、麻雀のルールさえ知らぬ赤木しげる13歳が呟いた一言であった。
では、なぜ麻雀を全く分からないアカギが、その言葉を口にしたのであろうか。
「今、気配が死んでいた…背中に勝とうという強さがない。ただ、助かろうとしている。博打で負けの込んだ人間が最後に陥る思考回路…あんたは、ただ怯えている」
南郷の背中から漂う、死に体ともいうべき気配を感じ取ったのである。
このアカギの言葉に、我に返る南郷。
「奴の言う通りだ…この手が、どうして二筒切りなんだ。どうかしてた…!仮にここを凌いでも、こんな発想では決して勝てない。危ない橋一本渡れない男が、博打で勝てるわけがあるか!」
南郷の言う通り、そんな逃げ腰では決して勝機など訪れる訳もなく、ジリ貧必至である。
臆病者に勝利の女神は微笑まない。
「どうせ死ぬなら強く打って…死ね!」
死の恐怖に抗い、危険牌の五筒を切り飛ばす南郷。
すると、その五筒は無事通った…。
実は、全くノーマークだった下家が二筒でテンパっていたのである。
もし、弱気になって二筒を切っていたら… 。
次巡、南郷の当たり牌を引いた下家は、その牌を吸い込まれるように切った。
逆転トップをもぎ取り、死の淵から生還した南郷。
そして、運命のイタズラともいえる勝負の綾。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉がある。
助かろうともがくのではなく、死を覚悟し流れに身を任せてこそ、死中に活を見出せるという。
齢13にして、この生と死の狭間にある理を理屈ではなく、天性の嗅覚で感じ取った赤木しげる。
孤高の天才が、闇に降臨した瞬間であった…。
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