特殊清掃という言葉を聞いたことがあるだろうか。
一言でいえば、亡くなった方の部屋を清掃し、現状復帰させる仕事である。
言葉にすれば簡単だが、実際は筆舌に尽くせぬほど過酷な業務である。
今回は、ごく普通の大卒サラリーマンだった主人公が特殊清掃業に転職し、そこでの実体験を描いた作品のレビューに挑戦してみようと思う。
厳しい世間の風当たり
特殊清掃で扱うのは、事件や事故、病気、そして自裁など様々なケースである。
そのほとんどが亡くなってから日数が経ち、遺体の腐敗が進んだことにより部屋の汚染が酷くなってから依頼が来る。
若者だけでなく、高齢者の独り暮らしが増える今、孤独死は社会的な問題といえるだろう。
そんな時代の流れもあり、特殊清掃の役割はますます重要となってくる。
にもかかわらず、実態は非常に厳しい。
業務内容が一昔前に流行った「きつい、汚い、危険」の3Kなのは、何とく理解できるのではないか。
しかし、それ以外にも特殊な業務内容もあって、世間の視線も冷たく険しいのが現実だ。
例えば、マンションやアパートなどの集合住宅に仕事が入ったとする。
すると、隣の部屋だけでなく上下階の住人からも、まるで自分のせいであるかのような激しいクレームを受けながら、仕事に取り掛からなければならない。
ときに、人はアクシデントが起こると、全く非のない現場にいる者に理不尽な八つ当たりをする生き物なのだ。
また、防護服に防毒マスクという物々しい出で立ちも手伝って、近隣住民から邪険にされ嫌悪の眼差しを向けられる。
ただ仕事をしに来ただけだというのに…。
だが、特殊清掃人がいるからこそ、見るに堪えない現場を何事もなかったかのように原状回復できるのだ。
本来ならば、人がやりたくない仕事を請け負う彼らには、感謝してもしきれないはずなのに…。
そう思うと、何ともやりきれない辛い仕事である。
転機となった出会い
本作品の主人公・山田正人は大卒でサラリーマンに就職したが、会社が倒産したこともあり特殊清掃の世界に飛び込んだ。
だが、過酷を極める現場に加え、先で述べたような世間の冷たい視線にさらされ、心が折れそうな日々を過ごすうち、彼は思うようになる。
「特殊清掃の仕事はどんなに経験を積んでも、どんなにお金になったとしても、決して報われることはないだろう」
そんな山田がこの仕事を天職だと思え、体が続く限り全うしたいと志すようになった出来事があった。
それは、野口さんという依頼人との出会いであった。
特殊清掃を続ける意義
あれから何年も経つが、山田正人は今でも時々、野口さんの家にお邪魔する。
野口さんの大切な人の冥福を祈るため、線香を上げに行くのだ。
それは、山田が特殊清掃の仕事を始めてから、しばらくしてのことだった。
前述の野口さんから、娘が亡くなったので部屋を綺麗に欲しいという連絡が来た。
娘さんの名前は愛さんといい、妻との離婚後は疎遠になっていたが、母親が行方不明になっていたので対応することになったという。
しかし、愛さんは妻の連れ子ということもあり、野口さんには全く懐かないまま離れ離れになっていた。
18歳という若さで旅立った愛さんは、急性心不全が死因だった。
荷物が少ない部屋だったが、大事に保管されていた小さな箱が遺品として見つかる。
その箱を野口さんに渡すと、どうしても一緒に中を確認して欲しいと言う。
野口さんに心を開かなかった愛さんの遺品を、ひとりで見る勇気がなかったのだ。
箱を開けると、全て宛先が同じハガキが大量に出てきた。
その宛名は何と!野口さんだったのだ!
ハガキと一緒に同封されていた日記帳を覗いてみると、そこには夢想だにしない言葉が綴られていた。
「いつも無視してごめんなさい。怒ったり冷たくしたりしてごめんなさい。ずっとずっと“お父さん”って言いたかった。でも、返事が返ってこなかったらと思うと…怖くて何も言えませんでした。ずっと後悔しています。何も言えなくてごめんなさい」
そこには、本心を伝えられなかった愛さんの悲しみ…そして、あふれんばかりの野口さんへの想いが詰まっていた。
涙が止まらない野口さんは、山田正人に感謝する。
「ありがとう。ひとりでは怖くて、ずっと中を見れないままだったと思います。あなたがいてくれたから…今やっと娘を知ることができました。本当に…本当にありがとうございました」
後年、野口さんは照れくさそうに語った。
「あれから、ときどき箱を開けては、娘と話をするんです。変ですよね?娘と一緒に暮らしたのは、たった5年なんですよ。だけど、亡くなってからのほうが…帰って来てくれたって感じがするんです。不思議ですよね」
野口さんは、娘のハガキに目を落としながら続ける。
「あの日…山田さんに会えてよかった…。娘との時間を与えてくれて、ありがとうございます」
その瞬間、特殊清掃人・山田正人は思った。
「この仕事は辛いことばかりだ。でも、こうして感謝されるなら…人の心を少しでも軽くすることができるなら…野口さんのような人のために…続けてみよう!」
「愛ちゃん、野口さんが来てくれてよかったね。さあ、一緒に食べようか」
今日も、野口さんは食卓に二人分の食事を用意し、愛さんの遺影に語りかけるのだった。
まとめ
いつの頃からだろうか。
駅などの公衆トイレを黙々と清掃する人たちに、私が深い敬意を抱くようになったのは…。
清掃従事者のおかげで、我々は気持ちよく用を足せる。
排泄物や汚物などの不浄のものは、人が最も忌み嫌うものである。
そうした人の嫌がる仕事を請け負ってくれる方々こそ、最も敬意を払われるべき存在なのではないか。
本作の主人公・山田正人氏は、まさしくそうした方である。
彼のような人がいればこそ、野口さんと愛さんの魂は救われた。
目に見える汚れのみならず、無念を抱いて旅立った魂も浄化する。
それが“不浄を拭うひと”なのかもしれない。
愛さんのご冥福を祈る。
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