「BARレモン・ハート」~酒と粋が織り成す人間模様~② 『再会』

ドラマ




そこは港町の片隅にひっそりと構える、とあるBAR。

波止場から聞こえてくる汽笛を合図に灯りがともる。

マスターの人柄そのままの空間に、常連客だけでなく様々な人々が訪れる。

今日も大人のための小劇場「BARレモン・ハート」で、悲喜こもごもの人間模様が繰り広げられるのであった。

ストーリー

ポールジロー

常連客の松ちゃんが、いつものようにウイスキーのウーロン茶割を飲んでいると、独特の雰囲気を漂わせ店内に入ってくる一人の男。
夜だというのにサングラスをかけ、トレンチコートにソフト帽というハンフリー・ボガートのような出で立ちである。
その男もまた「BARレモン・ハート」の常連客のひとり、メガネさんだった。

指定席に向かう途中、ブランデーの棚を一瞥し、尋常ならざる嗅覚で極上の逸品を目ざとく見つける。
その酒とは、ポールジローであった。

数あるブランデーの中で、フランスのコニャック地方産の銘柄は特に高い評価を受けている。
その中でも、ポールジロー社は最も古い歴史と伝統をもつ老舗であった。
創業から300年以上にもわたり農薬を使わず、収穫も全て手摘みで行うという一切の妥協を許さない製法を頑なに守り続けている。
ちなみに、収穫を機械で行わないのは葉っぱや虫を入れず、良質なぶどうのみを厳選するためには手摘みが最も理に適っているからだ。

そんな生一本の銘酒をメガネさんは、マスターにご所望する。
何でも10年程前、フランスの田舎町で15年もののポールジローを飲んで以来、その味が忘れられないというのである。
しかも、目の前にあるのは35年ものなのだ。
メガネさんでなくても、飲みたくなるのが人情であろう。

しかし、マスターは首を振る。
「これだけは出せません。なぜならば、ある人のために用意したからです」

それには深い理由があった。

若気の至り

それは今から20年前。
マスターが酒への造詣を深め、生意気盛りだった時のことだった。
当時のマスターはスコッチに凝っており、それ以外は酒に非ずという信念を持っていた。

そんなある日、常連客で大学教授の久保田先生という人物が来店する。
久保田先生が「これを飲めば君も変わる」と言いながら差し出したのが、ポールジローだった。
ところが、マスターはけんもほろろに拒絶する。
それどころか、「気に入らないなら、来なければいいんです」という言葉まで投げかけて…。

それから半年後、若いお客さんが店の片隅に放置されていたポールジローを見つけ、マスターに珍し気に尋ねてきた。
マスターは久保田先生とのエピソードを話す。
すると、奇遇にも彼は久保田先生の教え子だったという。
以前、先生の自宅に遊びに行った際にポールジローを飲ませて欲しいと懇願するも、フランスから大切に持ち帰った虎の子の酒ということで丁重に断られたそうだ。

その瞬間、マスターは全てを悟った。
久保田先生は、本当に大切にしていた酒を一介のバーテンダーに過ぎない自分のために、わざわざ自宅から持って来てくれたのだと。

先生の思いを知り、一口ポールジローを飲んでみた。
その芳醇な味わいに、言葉も出ないマスター。
そして、世の中にはまだ見ぬ凄い酒があることを痛感し、己の井の中の蛙ぶりを猛省した。

マスターは語る。
「今の自分があるのは、間違いなく久保田先生のお陰です」

その久保田先生と20年ぶりに再会するのが、今夜なのである。
そのために入手したのがポールジローであり、だからこそ封を開けてもらうのは久保田先生しかいないと言うのだ。

再会

約束の時間が近づくにつれ、マスターは不安げな様子を隠せない。
なぜならば、先生と直接約束を交わしたのではなく、不在の先生に代わって電話に出た奥さんに言伝を頼んだからだ。

時計の針が10時を知らせたその時、ドアが開き老境に達した男性が現われる。
そこには、素晴らしい笑顔を湛えた久保田先生がいた。

マスターと久しぶりの挨拶を交わすと、カウンターに腰を下ろす。
そして、マスターに視線を向け独り静かに頷くと、店内を懐かしそうに見回した。
その様は、まるで20年の歳月を経て更なる熟成を遂げた上質な酒を、しみじみと味わうかのような趣を感じさせる。

「いやあ~、20年ぶりかなぁ」と感慨深げな久保田先生に、その節の非礼を詫びるマスター。
「君も律義な男だね。私はとっくにそんな昔のことは忘れたよ」と笑う先生に、「私は忘れません。バーテンダーとして今の自分があるのは、久保田先生がいたからです」とマスターは真摯に礼を言う。
そして、深い感謝を込めてポールジローを渡した。

以前、マスターに渡したものは25年ものだったこともあり、35年ものの逸品にさすがの久保田先生も驚きの声を上げる。
再会を祝して乾杯を持ちかける先生に、マスターはあくまでもお礼のための贈答品だと言って持ち帰るように促した。

一拍の間を置き、久保田先生はマスターに語りかける。
「マスター。世の中にはたくさんの出会いがある。その中で、最も良い出会いは何だと思う?」

マスターは小首を傾げた。
「それは再会だよ。立派に成長した君を見て、私は心の底から嬉しい。あの時のポールジローが無駄ではなかったんだからね。だからこそ、このポールジローで君と再会の乾杯がしたいんだ」

含蓄を含んだ温かい言葉に、マスターは思わず感極まった。
早速、手際よくポールジローの封を切る。

「よかったら、君たちもどうかね」
久保田先生の誘いに、喜びを隠せないメガネさんと松ちゃん。
特に、食い入るように見つめていたメガネさんの嬉しそうな姿といったら…。
こうした、さりげない気遣いに久保田先生の人柄が伝わってくる。

ポールジローを注がれたグラスを傾け、久保田先生が乾杯の音頭を取る。
「それでは、マスターが誇り高きバーマンになったことに」

すると、3人も続けて祝杯の言葉を述べていく。

メガネさん「運命の酒との再会に」
松ちゃん「愛すべきBARレモン・ハートに」
マスター「全ての出会いに」

「うまい!」

珠玉の酒を飲んだ瞬間、同じ言葉が口をつく。

熟成を重ね、角の取れた達人の味ともいうべきポールジローを噛みしめながら、BARレモン・ハートの夜は更けていくのであった。




所感

この「再会」という物語は、本作品の記念すべき第1話を飾った名作である。
人に歴史ありというが、現在のマスターからは想像だにできない若き日の姿。
そして、恩師との出会い。

それにしても、私は石橋蓮司が演じる久保田先生に深い感銘を受けた。
教え子たちを導き、社会へと送り出す役目を担う教師という聖職を、長きにわたり全うした者だけが持つ佇まい。
その口から紡がれる言葉と所作は、何と含蓄があることか。
久保田先生は教え子だけでなくマスターをも、バーテンダーとして、いや一人の人間として成長を促す本物の教師だと感じた。

久保田先生の「人生で最高の出会い。それは再会だ」という言葉。
これは、多くの教え子たちに温かい眼差しを送り、そして社会に巣立ち成長した姿を幾度なく見つめてきたからこそ言える、久保田先生ならではの箴言ではないだろうか。

出禁の宣告を受けたにもかかわらず快く再会の申し出を受け入れ、マスターの成長した姿を素晴らしい笑顔で心から喜ぶ姿。
そこには、久保田先生の寛大な心が窺える。

時として、若者は無知で無軌道、未熟な存在であろう。
しかし、辛抱強く手間暇かけることで、長い歳月を経て人格が磨かれ熟成し、大人になっていく。
一朝一夕には結果が出ない教育の現場に身を置く者だからこそ、20年という長い年月をかけて成長したマスターの姿を素直に喜ぶことができたに違いない。

そして、久保田先生が35年もののポールジローを口にした際に語った言葉。
「熟成されたポールジロー。これは、まさに角の取れた達人の味だ」

それはきっと、今目の前にいるマスターの姿と重なったがゆえに、口を衝いたのではないか。
マスターこそ、角が取れ、全身から温かく柔らかな空気を醸し出す、最高のバーマンなのだから。

だが、私は思う。
その熟成されたポールジローの深い味わいは、久保田先生その人ではないかと。

“まさに角の取れた達人の味”。
これこそが、「MASTER OF LIFE(人生の達人)」ともいうべき格別の趣を湛える、久保田先生のための言葉に違いない。

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